白団結成に至る背景とは? わかりやすく解説

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白団結成に至る背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 20:04 UTC 版)

白団」の記事における「白団結成に至る背景」の解説

第二次世界大戦および日中戦争後中国では共産党軍国民党軍との対立再燃した内戦避けるために様々な交渉両者の間に行われたが、再び国共内戦がはじまる。 内戦忌避感情及び国民党軍腐敗対す反感巧みに利用して国民の支持得た共産党軍は、ソ連からの軍事援助も受ける一方蔣介石率い国民党軍アメリカからの支援なくなったことで徐々に劣勢に追い込まれた。1948年9月から1949年1月にかけての「三大戦役」で、共産党軍決定的に勝利し北京南京上海などの主要都市占領1949年10月1日共産党による中華人民共和国成立した一方人民解放軍に対してまともに対抗できないほど弱体化した中華民国政府蔣介石台湾へ撤退決定し残存する中華民国軍兵力国家個人財産などを国家存亡をかけて台湾運び出し1949年12月中央政府機構台湾移転して台北市臨時首都とした。 詳細は「国共内戦」を参照 中華人民共和国政府当初台湾へ軍事的侵攻検討していたが、国民党側の空海軍健在だったこと及び1950年勃発した朝鮮戦争兵力を割かざるを得なくなったことから、人民解放軍による軍事行動一時的に停止した1954年米華相互防衛条約調印されると再びアメリカから中華民国政府への支援再開されるようになったアメリカ朝鮮半島北緯38度線からベトナム北緯17度線に至るライン共産主義拡大食い止めており、台湾海峡はその前線だった。 1954年9月中国人民解放軍金門島中華民国国軍対し砲撃行い、翌1955年1月には、一江山島攻撃占領した2月8日から2月11日にかけてアメリカ海軍護衛のもと大陳島撤退作戦実施され中華民国国軍浙江省大陳島の拠点放棄した1958年8月には中国人民解放軍台湾金門守備隊対し砲撃開始した金門砲戦参照)。台湾側は9月11日中国との空中戦勝利し廈門駅破壊するなどの反撃行ったアメリカ台湾支持表明アイゼンハワー大統領は「中国まぎれもなく台湾侵略」を企図しているものと台湾国民政府軍事援助開始台湾金門地区防衛成功する10月6日には中国が「人道的配慮」から金門馬祖島封鎖解除し一週間一方的休戦宣言アメリカとの全面戦争避けた金門砲戦以降白団1969年まで国民党軍指導行っている(白団メンバーではないが根本博国民党軍中将として古寧頭戦役などで成果上げていた。彼らは白団派遣前後帰国した)。

※この「白団結成に至る背景」の解説は、「白団」の解説の一部です。
「白団結成に至る背景」を含む「白団」の記事については、「白団」の概要を参照ください。

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