日中戦争後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 13:45 UTC 版)
1945年8月、日本の敗戦によって第二次世界大戦、並びに日中戦争が終結した。国民政府が首都を重慶から南京に戻すのに従って、中国回教協会は、本部の所在地は国民政府の首都とするという会則に従って南京にその本部を移した。1945年に日本から中国への台湾が返還された後、協会の南京支部は抗日協会の設立者である王静斎、ムスリムでありイスラーム学者の常子春らと接触し、1947年12月23日に協会の台湾支部準備委員会を設立した。 しかし、1946年に勃発した国民政府と中国共産党との国共内戦において国民政府軍は共産党軍に敗北を重ね、台湾への撤退を余儀なくされた。創設から国民政府の擁護を掲げ、理事長である白崇禧をはじめ上層部に国民党の関係者が多かった中国回教協会は、1949年に国民政府とともに台湾へ移ることとなった。このように中国回教具進会の後を受けて1938年に発足した協会は、10年以上の長きにわたり中国大陸に存続し、およそ全土に21か所の分会、291か所の支会を持つ、最も影響力のある全国規模のイスラーム組織であった。
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