日中戦争前までの実績
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翌1926年(民国15年)10月、衛立煌は何応欽指揮下で福建省の周蔭人討伐に参加する。衛はこの戦いで軍功をあげ、第14師師長に昇進した。1927年(民国16年)には、北伐における長江の戦いで孫伝芳軍撃破に貢献し、同年10月に第9軍副軍長兼南京衛戍副司令に昇進している。まもなく、陸軍大学将官特別班第1期で学んだ。 1930年(民国19年)初め、衛立煌は第45師師長に任命された。中原大戦では、津浦線と南京の防衛を担当している。1932年(民国21年)5月、中路軍第6縦隊指揮官として、鄂豫皖蘇区の紅軍を攻撃した。6月、第14軍軍長に任ぜられ、9月、豫鄂皖辺区剿匪総指揮に任ぜられている。翌1933年(民国22年)10月の第5次紅軍掃討戦では、衛は北路軍第2路軍第1縦隊指揮官に任命された。11月、福建事変が勃発すると、衛は第5路軍総指揮に任ぜられ、事変を起こした第19路軍を短期間で鎮圧している。1935年(民国24年)11月の中国国民党第5回全国代表大会で中央執行委員に選出された。
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