日中戦争後期から国共内戦、晩年とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日中戦争後期から国共内戦、晩年の意味・解説 

日中戦争後期から国共内戦、晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/07 03:03 UTC 版)

韓徳勤」の記事における「日中戦争後期から国共内戦、晩年」の解説

1939年民国28年初に魯蘇戦区成立し韓徳勤は同戦区総司令となった10月顧祝同後任として、韓は正式に江蘇省政府主席兼全省保安司令就任している。1940年民国29年)、第2次国共合作最中ありながら、韓は自らの後任として第89軍長となっていた守維に命じ新四軍密かに攻撃させた。しかし新四軍反撃前に大敗戦死するという結果終わっている。その後も度々共産党戦闘仕掛けて敗北し1943年民国32年3月には陳毅大敗、韓自身捕虜とされる有様であった(まもなく韓は陳の判断釈放された)。1945年民国34年1月、韓は江蘇省政府主席地位から免ぜられ、第3戦区副司長官転じた国共内戦期入った1946年民国35年6月韓徳勤徐州綏靖公署副主任に任ぜられ、翌年陸軍総司令部徐州司令部(後に剿匪総司令部改組)副総司令となった。しかし内戦では中国人民解放軍敗退し1949年民国38年5月台湾逃れている。台湾では中華民国総統府戦略顧問務め1952年民国41年10月退役した晩年教育社会事業従事している。1988年民国77年8月15日台北市にて病没享年97(満95歳)。

※この「日中戦争後期から国共内戦、晩年」の解説は、「韓徳勤」の解説の一部です。
「日中戦争後期から国共内戦、晩年」を含む「韓徳勤」の記事については、「韓徳勤」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日中戦争後期から国共内戦、晩年」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日中戦争後期から国共内戦、晩年」の関連用語

1
30% |||||

日中戦争後期から国共内戦、晩年のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日中戦争後期から国共内戦、晩年のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの韓徳勤 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS