日中戦争前後の忠臣蔵ブーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)
「忠臣蔵」の記事における「日中戦争前後の忠臣蔵ブーム」の解説
昭和10年代前半の日中戦争前後の頃の日本回帰に伴い、第三の忠臣蔵ブームが起こる。この頃の忠臣蔵の特色は、天皇制の問題が色濃く反映している事である。たとえば真山青果の『元禄忠臣蔵』は、大石が皇室に対して絶対的な尊崇をしており、「元禄時代の人間がこのような発想をするわけがない。時局に迎合して故意に話を皇室に結び付けたのだ」と本作発表当時から批判された。 吉川英治の『新編忠臣蔵』においても、多門伝八郎が元禄の華美な生活は「永遠の皇国」に「亡国の禍根」を残すのではないかと嘆くなど、天皇制を意識して書かれている。 日中戦争がはじまって1年経つと、中国大陸で戦っている将兵のために中央義士会は『元禄義挙の教訓』を出版し、国家総力戦になった現在、義士精神は全ての国民が見習うべき道徳的規範だと主張している。そして義士の犠牲的精神を強調し、赤穂事件が忠孝一致の日本精神を体現するものだと称賛されている。
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