赤穂事件とは?

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赤穂事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/04 02:47 UTC 版)

赤穂事件(あこうじけん)は、18世紀初頭(江戸時代)の元禄年間に、江戸城松之大廊下高家吉良上野介(きらこうずけのすけ)義央[注釈 1]に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)長矩が切腹に処せられた事件。さらにその後、亡き主君の浅野長矩に代わり、家臣の大石内蔵助良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央、 小林央通鳥居正次清水義久らを討った事件を指すものである。




注釈

  1. ^ 諱の読みは諸説あるが、愛知県西尾市の華蔵寺に収められる古文書の花押などから「よしひさ」と考察される。
  2. ^ 明治政府による藩札交換率は、薩摩藩の藩札でも33銭3厘、土佐藩も32銭2厘であり[37]、改易藩のものとしては破格の交換条件である。
  3. ^ 浪士らは泉岳寺から仙石邸に一旦移送されていたが、肥後藩細川家は泉岳寺から直接移送と勘違いし、江戸家老三宅藤兵衛の指図によりその旨の準備(17人の預かり担当に対し、警護含む人員847人)が用意されたが、仙石邸からの受取と知って急遽行先を変更した上で、当時としてはかなり夜間となる午後10時に仙石邸から17名の受け取りを行っている。これにより、現場では多少の混乱・情報の錯綜があったことが窺い知れる。
  4. ^ 高家の「今川」における「品川」と同じ扱い。
  5. ^ 義叔の孫に当たる義孚の代に「東条」から「吉良」へ復姓する。
  6. ^ 高家の装束が直垂であることは、神坂次郎著『おかしな大名たち』所収の大沢基寿の史談会での談話に明らかである

出典

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