大石家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 09:00 UTC 版)
大石内蔵助:五代目中村勘九郎家老の見習いだった延宝6年 (1678)、20歳のときに初めて江戸に出た。吉原に行った際、そこで拾った財布が縁で色部又四郎と知り合う。 昼行灯と呼ばれ呑気な一面も持つが、真面目な性格の持ち主。主君に対する思いも人一倍であった。 討ち入り計画の段階で、血判状を書き浪士たちの意思を確認しようとし、血気に走る者に対しては「とにかく待て」と冷静に対処するように促している。 お軽からは好意をもたれており、入浴時に体に湯をかけさせたこともある。 りく:大竹しのぶ内蔵助を支える妻であり、主税の母。 大石松之丞→大石主税:熊木翔→二代目中村七之助内蔵助の嫡男。父たちの動きに感動し、自らも浪士に加わる。 おまさ:南果歩内蔵助の赤穂時代の妾。 お軽:安達祐実島原の稚児として客である内蔵助に出会い、その人柄にふれて好意を抱くようになる。 赤穂藩取りつぶし後、内蔵助に女中として身請けされる。身請けされた当初は子供らしさが抜けず、歯に衣着せぬ言動で内蔵助・進藤源四郎以外の浪士とことごとく対立。特に原惣右衛門や大高源五は女狐と罵り、遠ざけるよう何度となく内蔵助に諫言していた。また、その出自が影響してか女性としての羞恥心も殆どなく、洗髪中に原惣右衛門と大高源五が訪ねてきたときには服を着ずに出迎え両人を戸惑わせた。 しかし、時を経るごとに女性として成長し、内蔵助を精神面で支える存在になっていった。内蔵助と別れる直前に内蔵助の子供を身ごもるが、内蔵助の足かせにならぬよう「遊郭に戻れば生きていける」と明るく振る舞っていた。最後は内蔵助の配慮で進藤源四郎に預けられ、最終回にて内蔵助との間の男子を出産。出産後は源四郎とりくによって男子と共に表社会から消された。以降は不明だが、終盤で登場した「五代目中村勘三郎」がその男子であると匂わせている。 大石頼母助:愛川欽也 石束源五兵衛:四代目中村梅之助但馬豊岡藩家老。りくの父。 大石くう:小野寺華那→徐桑安→坂田麻衣子 大石るり:板倉美穂 大石吉千代:鍋倉萌杜→北尾亘→柿本祐貴 おきみ:飯島里奈 八助:佐藤輝
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