大石寺門流以外の主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 15:43 UTC 版)
他の日蓮の門流では以下の見解により、偽書であると考えられている。 種脱相対の教判は、富士門流特有の主張であるため、種脱相対ではなく教観相対を主張する他の日蓮の門流からは偽書とされる。 百六箇を書き連ねるという文章の体裁及びその文体が、他の日蓮の門流で真蹟と認めている、日蓮の他の著作には見られないものである。 弘安5年(1282年)に到って初めて定められた六老僧についての言及があり、史実との不整合がある。 弘安5年の時点ではなお「伯耆殿」と呼ばれており(春初御消息)阿闍梨号を授けられていない日興が白蓮阿闍梨と呼ばれており、史実との不整合がある。 富士山に本門寺と戒壇を建立せよとする富士戒壇説が説かれているが、戒壇建立に具体的に言及した『三大秘法抄』など真偽未決のものまで含めて日蓮遺文には富士山に対する特別視は存在せず(むしろ須弥山と対比して矮小な事物として言及されており)、富士山を戒壇建立に適した最勝地として言及したものは存在しない。 以上の理由から、富士門流の教義に拠らない「昭和定本日蓮聖人遺文」には百六箇抄が収録されていない。
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