協会の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 09:56 UTC 版)
「アントロポゾフィー協会」の記事における「協会の設立」の解説
“最初の”人智学協会は、シュタイナーが代表を務める「神智学協会ドイツ支部」が当時の神智学協会から分離独立する形で1912/3年に設立された。 分裂に至った経緯は以下の通りである。1907年に神智学協会会長に就任したアニー・ベサントは、西洋のキリスト教的な道に傾いているシュタイナーについて、東洋志向の自分たちとは方向性を異にしていることを指摘しながらも、表面的には高く評価する態度を見せていた。しかし実情ではすでにこの頃、両者間には潜在的な不和が生じていた。1911年、ベサントは、自分の養育してきたインド人少年ジッドゥ・クリシュナムルティを世界教師となる資質をそなえた来るべきメシアであると宣言し、これを代表に据えた「東方の星教団」を設立した。これをきっかけにシュタイナーとベサントの対立は顕在化する。ベサントは西洋人に対してはクリシュナムルティはキリストの再来だと説明したが、キリストが現代に再受肉したという考えはシュタイナーにとって是認しうるものではなかった。シュタイナーは東方の星教団に参加した者は自分の率いるドイツ支部の会員にとどまることはできないと宣言する。これを承けてベサントは神智学協会の総会においてシュタイナーのドイツ支部の設立許可を取り消し、一方、一部を除くシュタイナー支持のドイツの神智学徒たちはベサントの辞職を要求した。1912年末までに両者は完全に決裂し、シュタイナーに従って神智学協会を脱退した人々によって翌年初めに人智学協会が設立された。 この最初のアントロポゾフィー協会組織の代表者はミヒャエル・バウアー、マリー・フォン・ジーフェルス、カール・ウンガーの3名であり、人智学運動の創始者であるルドルフ・シュタイナーは協会運営には携わらず、自身は同協会の会員になることすらなかった。シュタイナーはあくまでも精神的な指導者として、協会の外から協会活動に関与したのである。
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