戦時中の流言(デマ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 04:19 UTC 版)
朝鮮半島の女子については日本内地における徴用令も女子挺身勤労令も発令されなかったが、斡旋や募集によって挺身隊が日本内地へ向かった事例もあったため、朝鮮の社会では挺身隊と慰安婦が混同され、「挺身隊に動員されると慰安婦にされる」との流言・デマ・うわさが流布し、パニック的動揺が生まれた。 日中戦争後の流言蜚語 日中戦争後に「官憲が戦争のために未婚女性の体を犠牲にしている」という流言が流布していた。尹明淑は、宮田節子『朝鮮民衆と「皇民化」政策』(未来社、1985年)を参照して、次のように述べている。 日中戦争後、朝鮮民衆のあいだでは、官憲が戦争のために未婚女性の体を犠牲にしているという「流言」が流布していた。民衆の「流言」は、マスコミとはほとんど無縁の生活をしていた朝鮮の大多数の民衆にとって、もっとも身近な情報源であった。また、「流言蜚語」「造言飛語」「不隠言動」という名で呼ばれた民衆相互の口コミは、生活実感からの「驚くほど鋭敏で、積極的な反応を示した」ものであった。民衆は、未婚女性の動員に対して強い不安や反感を持っていたのであり、徴集業者はこのような民衆の心理を巧みに利用したのである。 — 尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍慰安婦』(明石書店、2003年)、295~298 朝鮮総督府官制改正に関する説明文書 1944年6月27日付の朝鮮総督府官制改正に関する内務省の閣議用説明文書でも次のように流言について書かれている。 勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとし、一般労務募集に対しても忌避逃走し、或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、未婚女子の徴用は必至にして、中には此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり、此等悪質なる流言と相俟って、労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる。 - 内務大臣請議「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正の件」1944年6月27日付 ここでは「未婚女子の徴用は必至にして、中には此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言 (未婚の女性は必ず徴用で慰安婦にされるという荒唐無稽なる流言)」が拡散しているという記述があり、戦前から徴用(勤労報国隊、女子挺身隊)と慰安婦「混同」されていた様子が伺える。 秦郁彦は「『悪質なる流言』という表現がくり返し出てくるところから、総督府では単なるデマではなく、一種の反日謀略ではないかと疑っていた」と指摘している。 高崎宗司は 毎日新報1944年10月27日と11月1日に『許氏』の名前で「軍慰安婦急募」の広告がなされている。同紙1945年1月24日に『京城府』の名前で出された「女子挺身隊ヲ募ル」という広告の違いは一目瞭然である としたあとで、 しかし当時から、 挺身隊に参加すると慰安婦にされるといううわさがある程度広まっていたことも事実である として、この朝鮮総督府官制改正に関する説明文書を事例として提示している。 流言の原因 デマ、流言の原因としては次のような見方がある。 徴用のがれ(挺身隊のがれ) 日本でも就職する事によって徴用を逃れようとしたものがいたが、朝鮮でも「挺身隊のがれ」のために早婚することが氾濫したり、就職する女性が増え、朝鮮の未婚女性や親は娘に学校を中退させたり、結婚することで徴用を逃れようとした。例えば、韓国で挺身隊=慰安婦という認識を広めた韓国挺身隊問題対策協議会初代代表の尹貞玉(1925年生)も父親の忠告に従って1943年4月に入学したのを同年9月に退学している。また、当時の朝鮮では未婚女子の徴用を「処女供出」とも呼び、これを避けるために娘を隠すなどした。 教師による指名勧誘 尹明淑は、労働力として国民登録する朝鮮の女子はあまりに少なかったため学校教師による勧誘が進められたが、内地に動員されたことが多かったためデマの元になったとしている。実際、官斡旋による女子挺身隊動員は小学校や女学校の教師が指名勧誘する事例が多かった。 独立主義者による謀略 日本政府は挺身隊を慰安婦と混同する「荒唐無稽で悪質な流言」(デマ)を民族主義者による反日謀略とみなしていた可能性も指摘されている。 人身売買との関連 元慰安婦の証言からは「女子挺身隊」は人身売買詐欺の名目に使われている。
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