戦時中の発言とは? わかりやすく解説

戦時中の発言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 14:01 UTC 版)

堀真琴」の記事における「戦時中の発言」の解説

護憲派左翼論客として戦後活躍した堀だが、戦時中は「今や大東亜共栄圏理想は、実現第一歩力強く踏み出したのである。これひとえに御稜威然らしめるところとはいえ、又皇軍将兵勇戦奮闘の致すところである」(昭和十八年三月日本評論』誌掲載総力戦政治推進」)という戦争讃美、「我が国体の客観的認識による時、それは万世一系天皇中心として国家形成発展せしめて来たという事である。即ち天皇国民赤子思し召され国民天皇現人神として尊崇奉る所謂一君万民君民一体の国家生活を営んで来た事、これが我が国体の具体表現である」(昭和十六十一月現代』誌掲載権力と権威」)という国体讃美論調張っていた。『進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集』には堀について、つぎの副題付けられている。 堀真琴(前労農党参議院議員)“撃ちてし止まむ”の尊皇攘夷論者 — 『進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集』全貌社昭和32年

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戦時中の発言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:17 UTC 版)

住井すゑ」の記事における「戦時中の発言」の解説

第二次世界大戦中は「農婦われ」「生産の歌」「日の丸少女」「佐久良東雄」「野の旗風」「難きにつく」など数々軍部賛美随筆小説書き、それらの作品で 「戦争ありがたい。戦争価値標準正しくしてくれる。そして、人間の心に等しく豊かさ与えてくれる」 「戦争ありがたい。あり余る物によって却って心を貧しくされがちな人間弱点追い払って真に豊かなものを与えようとしていてくれる」 「やあ、おめでとう。マニラも陥ちたね、いや、愉快だ。全く、痛快 だ」 「無敵皇軍何がいけない? ははゝゝゝ無敵皇軍不穏だなんて言った腰抜野郎今こそ出て来い。神国日本開闢以来無敵なんだ。それを英米の倣慢野郎に気兼して、無敵皇軍と云っても書いて不可ないなんて、そんなべらぼうな話があるかつてんだ」 「いや、めでたい正月だ。マニラが、他愛もなく落ちやがった」 などと書いている。そのとき住井は40歳過ぎていた。 しかし敗戦後、住井は自らの戦争協力過去積極的に偽るようになった寿岳文章との対談では、次のように語っている。 住井 戦争中十七八年私たち童話を書く人間集められて、「童話国策沿って、国のためになるような童話書けと言われました。ある時は大蔵省、それから情報局両方から呼び出されて……結局命令通りに書かなければ雑誌紙をくれない、単行本出すにも紙をくれない、といじわるしたからねえ、だから気の弱い人は翼賛会情報局のいう通りなりましたよ。そういう会合でもそいつらと喧嘩したのはやっぱり一人でした。寿岳 やっぱり、住井さんだ。 住井 軍の要請に従って、ある時、大蔵省情報局役人が、子どもに「お父さん、お母さん、今、お国大変なんだから早く税金納めてください」と親たちを説得するようなものを書けというんですよ。だから私は、そういう童話書けません。子どもに収税吏の下働きをさせるような、そんなまねはできません。 そう言った怒りましてね、みんなのいる中でさんざん私に悪態つきましたよ。(中略)みんな黙って聞いてました。書けない突っ張ったのは私一人です。 — 「時に聴く-反骨対談」 (人文書院1989年)p121、「住井すゑ作品集第8巻収録 晩年戦時中翼賛発言櫻本富雄指摘された住井は「ほほほ…何書いたか、みんな忘れましたね」「書いたものにいちいち深い責任感じていたら、命がいくつあっても足りませんよ」「いちいち責任取って腹切るのなら、腹がいくつあっても足りない」などと放言した。 住井の説明によると、これらの翼賛的な文章は、思想犯としてたびたび検挙された夫の罰金支払うために不本意ながら書いていたものであるという。それに対し前田均(天理大学)は、戦時中言論弾圧罰金程度で済むほど甘いものだったのかと疑念呈している。前田また、いずれにせよ、住井はそれ以前は、他の作家たちの戦争協力の例を挙げる一方で書けない突っ張ったのは私一人です』と言っていたが、それが『虚構』であることが櫻本にとって(ママ明らかにされたわけである」とも評している。 櫻本による上掲インタビューについて、高崎隆治は「佐多稲子をはじめ、林芙美子吉屋信子豊田正子円地文子真杉静枝など」の女性作家にも戦争協力過去があるのに、なぜ住井だけを槍玉に挙げたのかと詰り、「同質多数の中から特定の一人だけ』を標的にするのは」「いじめ以外のなにものでもない」と非難した。これに対して前田は「同質多数の中から特定の一人だけ』をかばうのはその意図のあるなしにかかわりなく、神格化以外のなにものでもない」と批判した

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戦時中の発言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 09:58 UTC 版)

末川博」の記事における「戦時中の発言」の解説

平和運動邁進し末川だが、戦時中著書で「事あらば命に従って急に赴く用意覚悟とのもとに平常時よりも一段とさかんな意気感激をもって学問精進することを要する将来をになう者としての自覚責任感、そして同年配の友の多くが銃をとりハンマーにぎりしめている雄姿を思うての反省、それらによって学問への熱意はいよいよ高めらるべきである」(『歴史側面から』中央公論社1942年)という発言をしていた。暴露本進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集』には末川について、つぎの副題付けられている。 末川博立命館大学学長学徒出陣堂々と強調 — 『進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集』全貌社昭和32年

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