たい‐だん【対談】
対話
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対話(たいわ、英: dialogue, ダイアローグ)とは、直接に向かい合って互いに話をすること[1]。
複数の人物の会話によって進行される叙述形式を採用した文学・哲学作品のことを対話篇(たいわへん)と呼んだりもする[2]。三人の場合、鼎談と呼ぶ。
一人語り(英: monologue, モノローグ)と対比される。
歴史
古代
対話形式(ダイアローグ)は、古くから洋の東西を問わず、思想・宗教・哲学や、文学・演劇に関する作品に、数多く採用されてきた。
西洋においては、古代ギリシャのギリシア悲劇の諸作品や、プラトン、クセノポンらによる「ソクラテス的対話篇」などが有名。ソクラテスの場合、彼自身が問答法(産婆術)と呼ばれる対話的手法を用いていたため、対話形式の作品と相性が良い。散逸してしまったものの、アリストテレスもまた、対話篇の哲学作品を数多く著していた(アリストテレス著作目録)。
東洋においても、仏教や儒教などの経典においては、釈迦・孔子とその弟子との対話(問答)形式の作品が多い。ヒンドゥー教の重要経典『バガヴァッド・ギーター』も、大部分がクリシュナとアルジュナの対話によって進行する。
中世
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近代
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脚注
関連項目
対談(山崎正和・大野晋)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:30 UTC 版)
「丸谷才一」の記事における「対談(山崎正和・大野晋)」の解説
『雑談 歴史と人物』 山崎正和と、中央公論社、1976。専門家との座談 『鼎談書評』 山崎正和・木村尚三郎と、文藝春秋、1979 『鼎談書評-三人で本を読む』 山崎・木村と 文藝春秋、1985 『鼎談書評-固い本やわらかい本』 山崎・木村と 文藝春秋、1986 『日本の町』 山崎と、文藝春秋、1987 のち文庫 『日本語で一番大事なもの』 大野晋と、中央公論社、1987、中公文庫 1990 改版2016 『見わたせば柳さくら』 山崎と、中央公論社、1988 のち文庫 『光る源氏の物語』(上・下)、大野晋と、中央公論社、1989、中公文庫 1994 『半日の客 一夜の友』 山崎と、文藝春秋、1995 のち文庫 『二十世紀を読む』山崎と、中央公論社、1996 のち文庫 『日本史を読む』山崎と、中央公論社、1998 のち文庫 『日本語の21世紀のために』山崎と、文春新書、2002
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