戦時中の死亡率
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 13:49 UTC 版)
立津政順は1958年(昭和33年)に「戦争中の松沢病院入院患者死亡率」(精神神経科学雑誌、60:596-605,1958)を発表し、第二次世界大戦敗戦の1945年(昭和20年)に東京都立松沢病院に在籍した1169名(年初在院668名、年間入院501名)中、478名が死亡し、年間在籍患者数に対する死亡率が40.9%と発表した。 岡田靖雄はその他の病院の死亡率を検討し、「戦前の精神科病院における死亡率」近代庶民生活史、20,病気・衛生226-240,三一書房,1995. で、死亡率に影響を与える要因として、 病院経営が安定すると、死亡率が減少する。 太平洋戦争前は米価が上がると、脚気による死亡率が上がる。 と記載し、赤痢・腸チフス・流行性感冒より影響が大であった。終戦直後の食料不足による栄養障害が最も重要で、松沢病院では62.3%が栄養障害で1000キロカロリー以下のことも多かったのではないかとしている。
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