戦時中の新路線建設計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:48 UTC 版)
「帝都高速度交通営団」の記事における「戦時中の新路線建設計画」の解説
営団設立後の1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争が始まったが、営団地下鉄は設立の使命である地下鉄新路線の建設計画を進めた。 緊急施工路線として新宿 - 東京間を建設することとし、四谷見附 - 赤坂見附間を1942年度(昭和17年度)着工、1945年度(昭和20年度)完成、新宿 - 四谷見附間および赤坂見附 - 東京間を1943年度(昭和18年度)着工、1946年度(昭和21年度)完成予定とした。車両120両および新宿車庫計画を含めた建設費用は1億4,050万円を計画した。 続いて池袋 - 東京間(車両162両を含めた建設費用は1億5,506万8,000円)、築地 - 五反田間(車両118両を含めた建設費用は1億1,544万6,000円)を1942年度(昭和17年度)より順次着工、1947年(昭和22年)以降の完成を目途に建設することとした。 そして1942年(昭和17年)6月5日(この日は日本軍がミッドウェー海戦で惨敗した日である)に四谷見附 - 赤坂見附間の起工式を行い、弁慶濠付近の建設工事が行われた。しかし、以降は戦局の悪化により資金、資材、労働力が不足したことから、1944年(昭和19年)6月に建設工事は中止した。 第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)4月、営団の公的性格の明確化、運輸政策審議会の答申で財政投融資による東京の地下鉄建設促進を計る観点から、各民間鉄道の出資金を引き上げ、日本国有鉄道と東京都への移管が行われた。
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