論客として
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2002年(平成14年)、東洋大学経済学部社会経済システム学科助教授に就任。2004年(平成16年)、同教授に昇格。 2005年(平成17年)夏、郵政解散後に自民党から郵政民営化に造反した自民議員の刺客候補として、同年9月の第44回衆議院議員総選挙に立候補することを要請されたが、これを固辞した。 2006年(平成18年)、政府の教育再生会議委員に就任。2007年(平成19年)には関西大学政策創造学部教授に就任するとともに、初代日本中央競馬会公正審査委員にも任命されている。2013年6月からは旭化成株式会社取締役を兼務。
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論客として
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初めてのテレビ出演は、友人の古市憲寿が司会を務める2015年元日放送の『ニッポンのジレンマ』(NHK)で、パネリストとして出演。その放送を観た『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)のスタッフから古市の紹介で連絡があり、同月下旬に『朝生』に初出演した。以降、『朝生』ではレギュラー出演するなど若手世代の代表的な論客として注目を集め、様々な討論番組やニュース番組に出演している。『朝生』では当初、挑みかかるスタイルであったが、毎月出演することでスタッフともファミリー感が生まれ、言論界の人間関係が見えてくることで、気持ちの余裕が生まれたという。“慣れ”により新鮮味は失われてしまったが、本番中にカメラに映っていないことを確認しながら、腹に一物抱えていそうな出演者にサインを送るなど、パネラーたちが言いたいことを言ってスッキリ帰れるようにアシストする側に回ることが多くなったという。 議論について三浦は「日本に存在する『ハイ論破!』という文化は有害」「はい論破!という雰囲気が左右両方にあるのはわるいこと。論破なんかできるわけがない。自分の議論を示しつつ相手の議論の不備や死角を指摘できるだけ。昔は保守はそれがわかってて閉じこもりリベラルの方が教化を目指してたけど、最近両方憎しみで目が曇ってる感あり」「官僚が使う言葉を借りれば『議論するときは同期』という姿勢こそが正しい」と述べている。 自身の政治スタンスとしては「抑制的な外交安保リアリズム(現実主義)」「経済リアリズム(経済成長重視派)」「社会リベラル」のリバタリアニズム(完全自由主義)の立場をとる。しかし、日本においてこのような組み合わせの思想が少ないせいか誤解が生じやすいといい、「三浦瑠麗は女性問題には積極的に発言するのに、安全保障でリアリストだったり権力側の目線である」という批判を受けることが多いという。これに対し三浦は「弱い存在を守ることと、リアリズムに立つことは、両立します」と主張しており、理性で物事を判断することは感情を殺すことではなく“真実を見つめ続ける強さを裡に養うこと”だとしている。 メディアに出演し始めた当初は素直に評価されていたが、次第に左右両方から叩かれるようになったといい、これについて本人は「おそらく多くの人が三浦は自分たちの『立場』を代弁してくれる、背負ってくれるのではないかと思ったのでしょうね。私自身は変わっていないのですが、批判を受けるのは三浦を陣営トークに取り込めない、背負ってくれないと思った人が叩くようになったからです」と分析している。社会的にリベラルなことを言えば右派に叩かれ、安全保障を語ると左派に叩かれるが、これは気にしても仕方のないことで、相手や各陣営と「立場」に引きずられずにそれぞれの問題について自分が考えていることをまっすぐに言うことを心掛けているという。 「キツい」という印象を持たれることについて「私は思うところを正直に言います。それは、相手に忖度しすぎたり手加減をするのは、リスペクトがないことと同義だと思うから。お互い変な馴れ合いをしないことが、相互理解への一番の道です」と述べており、それによって結果的に仲良くなった人もいるという。 主義主張の是非に関わらず、個人的に好きな政治家として「パッション(情熱)を持っている人」「人間的なかわいらしさ」を挙げており、石原慎太郎、橋下徹、高村正彦、石破茂、辻元清美、ヒラリー・クリントンなどの名前を挙げている。湘南高等学校の先輩でもある石原慎太郎については「彼の韓国・朝鮮人への差別も女性憎悪も、私は思想的にまったく受け入れがたいもので、はっきり言ってそこは嫌いです」と批判しつつも、欲望の中に嘘偽りのない魂があり、人間的な魅力があると評している。政治家に関しては分析対象として観察することが面白いため、彼らと接点を持って話したり助言をすることはあるが、ロビー活動はしないと語っている。 デマ記事を流す出版物への規制と表現の自由について、三浦は出演した『ABEMA Prime』(AbemaTV)で「優先度として個人の名誉棄損や物理的脅迫とかはバンバン訴えて高額の賠償を取ればいい」とする一方で「出版物の表現の自由の場合だと、例えば保守速報を禁ずるならリテラも禁ずるべきですよね。デマ度合いは一緒なので。そこを規制できるかといった時に、表現の自由が出てくる。誰かが表現の自由をコントロールし始めるといろんな人がいろんな価値尺度を適用し始める。私は誤報があっただけで1つの新聞社を廃刊にすべきでないと思う。大変なデマ記事が飛び交っていて、今は1つ1つ選択的に訴えている状況。もちろん圧迫を掛けるやり方は意味のある活動だと思うが、圧迫を掛けている人の主張を100%飲むべきか?となると言論の自由を狭めることにもなる」と、保守速報やリテラの規制に否定的な見解を示した。 自身のTwitterには、日々数えきれないほどの誹謗中傷コメントが寄せられるが、ブロックしているアカウントはほとんど無いという。「ブサイク」「死んだらいいんじゃないの」まではスルーするが、「死ね」「殺す」「枕営業」など書き込んだアカウントはミュートしており、1200人ほどミュートしているという。しかし、世の中を恨んで生きているような学者崩れなどが、複数アカウントを作ってターゲットにした相手を叩いて回っている場合もあり、実際に1200人いる訳ではないと語っている。三浦は「道端の犬の糞とか、タバコの吸い殻とか、そういうものを拾って怒ったり悲しんだりして捨ててあげる人もいるんでしょうけれど、不快になるものをわざわざ見なくてもいいと思うんですよね」と述べている。また、SNSで誹謗中傷を受けていた女子プロレスラーの木村花が急死した件を受け、「テラスハウスの花さんが命を絶ったという。いじめで自殺を選んだ多くの人がいる。私だってそうなっていたかもしれない。中傷する人はそもそもどんな文脈においても正義なんかではない」「世に出ている人がどれだけの憎悪を浴びて日々生きているか考えてほしい。異様なメンタルになっていくのだ」と述べている。 自身の発言が度々批判を受けることについて、「気にはする人だと思う、私自身は」としつつも「気にしたからといって、それで曲げるわけではないし、(他人から)好かれるために生きてるわけではない」と主張。「(自分のことを)知っている人に理解されていればいいと思うんですよね。そこがあるから、知らない方に何を言われても気にならないですね」と述べている。
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論客として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 00:05 UTC 版)
菊竹六鼓の論説は、昭和初期に軍が議会制民主主義をないがしろにした日本近代政治史の転換点において、一貫してメディアを通して戦う姿勢を見せたものであった。その代表は、大正期から護憲運動の擁護者で軍備縮小を進めた犬養首相を暗殺した五・一五事件についての論説であり、全国の大手新聞社が軒並み軍部支持の記事を掲げ、世論を軍国主義へ誘導し、あるいは軍国主義世論に迎合する中でのものであった。この論説は、国民と政治・マスメディアの関係に対し強い警鐘を鳴らすものであり、軍部を激しく攻撃し軍人の政治関与に警告をあびせた論調は、大手新聞社でただ1社福岡日日新聞のみであった。この姿勢は、軍からの脅迫にも似た圧力に屈することなく自由民権の精神を貫いたものといえ、マスメディアのあるべき姿として今に至るまで高く評価されている。
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