論告求刑で記者会見
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1983年1月26日、丸紅ルート裁判、論告求刑で検察が田中角栄元首相に懲役5年、追徴金5億円、榎本敏夫に懲役1年を求刑した。その求刑の中で三恵子証言に触れた個所は次のとおりである。 榎本は2月10日過ぎ頃、同人の妻、三恵子の運転する乗用車で目白の田中私邸に赴く途中の東京都豊島区大塚三丁目の交差点で、同女に対し「どうしよう」と相談をもちかけ、同女から、「どうしようって、報道のお金を事実受け取ったの」と聞かれ、瞬時思いをめぐらした後、軽くうなずいてこれを肯定し、同女が「田中先生へはどこまで追及がいくんですか」と聞くと、榎本は「あとは三木総理の腹一つなんだ」と言い、また同夜自宅で、同女に対し、「上で動き出したことは一介の宮仕えの僕にはどうしようもないんだ」などと話した。また同女は、同月16日ころ榎本の自宅にあった日程表、メモ、書類等を焼却し、その旨を榎本に話し、同人はありがとうと言った。 その夜、霞が関の東京高等裁判所内の司法記者クラブで榎本三恵子は自ら記者会見を申し出、「司法の健在を示した。日本人にとっても安心できる結果だ。(私の証言がそのまま使われたことは)当然のことです。事実はゆるぎないし証言したことは正しかったと今でも思っている」と感想を述べた。榎本敏夫は脳溢血の後遺症で杖を突いて入廷しており「(元夫の)求刑は思ったより軽かったと思うが、テレビで杖を突いてる姿を見た時は、やはり感傷的になりました。お疲れ様と声をかけたやりたい心境です」といたわった。
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