論山道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:31 UTC 版)
論山道のマックグライル大隊は、19日から20日の夜の間中、敵の圧迫を排除して陣地を保持しつづけていた。20日早朝、大田西端に敵戦車が進出したとの報告がもたらされたが、これは、実際にはビューチャムプ大佐率いるバズーカ班が撃破した残骸であった。ただしこのことは大隊本部には伝えられず、マックグライル中佐は、大隊の後方が遮断されたと信ずるにいたった。 このとき、京釜本道正面から後退してきたアイレス大隊が通りかかったので、このことを伝えると、アイレス大隊は大田への後退を諦めて宝文山に登っていった。この直後より、マックグライル大隊に対する圧力がさらに強まり、北翼のF中隊は後退せざるをえなくなった。このことからマックグライル中佐も現在地の固守を諦めざるを得なくなり、大隊は、アイレス大隊を追って宝文山に登りはじめた。通信手段はなく、この後退も、第34連隊本部には報告されなかった。
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