京釜本道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:31 UTC 版)
20日早朝3時、京釜本道のアイレス大隊に対する攻撃が開始された。このとき、アイレス大隊には、本国から急送された新兵器である89ミリ口径のM20スーパーバズーカが支給されていたが、これを持っていた兵士が行方不明になってしまったために効果を発揮できず、午前4時ごろより壊乱の兆しが見えはじめたことから、アイレス中佐は後退を決心し、大隊は、柳等川谷をとおって論山道へと後退しはじめた。しかし、状況が錯綜するなかで、アイレス大隊の後退は連隊本部に報告されず、このことがのちに第34連隊、さらには第24師団全体の戦闘指導に大きな影響を与えることになる。 第34連隊長(ビューチャムプ大佐)は、アイレス大隊との連絡が途切れたことから、自ら連絡を試みたところ、敵戦車と遭遇し、工兵のバズーカ班を指導してこれを撃破させた。これがM20スーパーバズーカの初戦果であった。この後、まもなくアイレス大隊が健在であるとの連絡が入り、連隊長を大いに安心させたが、これは北朝鮮軍による偽情報であり、実際にはアイレス大隊は既に撤退して柳等川谷を南下中であった。 アイレス大隊が健在である以上は、飛行場付近の敵は、アイレス大隊とマックグライル大隊の間隙をぬって浸透したゲリラ部隊であると判断したことから、ビューチャムプ大佐は、第3大隊(ラントロン中佐)に対して、この敵を撃退するように命じた。しかし実際には、これは戦車を有する有力な部隊であったため、ラントロン大隊の逆襲は失敗した。しかも、この直後にラントロン中佐が北朝鮮軍の捕虜となってしまったため、この逆襲失敗も連隊本部に報告されず、錯誤がさらに重ねられることとなった。
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