岡西惟中とは? わかりやすく解説

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おかにし‐いちゅう〔をかにしヰチユウ〕【岡西惟中】

読み方:おかにしいちゅう

[1639〜1711]江戸前期から中期俳人因幡(いなば)の人。号は一時軒など。西山宗因師事し談林随一論客として知られた。著「俳諧蒙求」「近来俳諧風体抄」など。


岡西惟中

読み方おかにし いちゅう

江戸前中期俳人因幡生。名は勝、字は赤子通称平太別号一時軒・竹馬童子・北浪士等。歌は烏丸資広、連歌里村昌程学び西山宗因入門、『俳諧蒙求』を著わす。居を岡山から大坂移し、医を業としながら活躍した正徳元年(1711)歿、73才。

岡西惟中

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 14:41 UTC 版)

岡西 惟中(おかにし いちゅう、1639年寛永16年)- 1711年12月5日正徳元年10月26日))は、江戸時代前期から中期の俳人である。本姓は松永。名は勝、後に傭哉。字は赤子。通称は平太、別号に一時軒、竹馬童子等がある。


  1. ^ a b c d e f g h 岡本勝, 雲英末雄編 『新版近世文学研究事典』 おうふう、2006年2月、339頁。 


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