戦時中の行動とは? わかりやすく解説

戦時中の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 09:13 UTC 版)

秩父丸」の記事における「戦時中の行動」の解説

本船神戸帰着した1941年昭和16年8月17日同日付で「鎌倉丸」は日本海軍徴用された。前述のように航空母艦への改装候補でもあったが、船齢がやや古いことやディーゼル主機速力余裕が無いことを考慮して見送られている。本型3隻(浅間丸龍田丸秩父丸)用に開発されていた艤装は、新田丸級貨客船/大鷹型航空母艦3隻〔新田丸(冲鷹)、八幡丸(雲鷹)、春日丸(大鷹)〕の空母改装時に流用された。 特設運送船となった鎌倉丸」は、太平洋戦争勃発後、主に南洋諸島方面への人員や重要物資輸送任務従事した自衛用の武装として、船首船尾砲座火器据えられたほか、敵潜水艦魚雷スクリュー音を探知するための水中聴音機装備されていた。優れた速度生かせば敵潜水艦攻撃回避できる期待されたことや高速護衛艦の不足から、護送船団には加入せず単独航海をすることが多かった護衛がつく場合もあり、1942年昭和17年6月29日には最新鋭秋月型駆逐艦1番艦「秋月」に護衛され横須賀出発スラウェシ島セレベス島マカッサルまで航海すると、7月17日佐世保帰投した(秋月7月18日横須賀着)。 戦時中特別な任務では、1942年昭和17年8月日英交換船として本来の客船らしい航海行っている。第1回日米交換船では日本側から浅間丸参加していたが、日英交換船では鎌倉丸龍田丸とともに日本側を担当することになった7月25日一時的に海軍から徴用解除される舷側日の丸船体各所交換船であることを示す白十字識別塗装施され船尾上部構造側面には白十字識別標識取り付けられた。船体上部白色下部黒色平時に近い塗装となっている。8月10日乗客乗せずに横浜から出航神戸スイス外交官乗船上海イギリス領事館関係者民間抑留者ら敵性外国人903名を収容シンガポール当時日本呼称昭南)でもイギリス人3名を乗船させた。ただし、大内健二によれば乗船者総数910名である。航海は順調で、9月8日大内によれば8月28日)に交換地である当時中立国であったポルトガル領東アフリカ交換ロレンソ・マルケス到着乗客下船させた。同地待機していたイギリス側客船シティ・オブ・カンタベリー」から新任領事館員等と日本人合計867名、タイ王国人4名、ドイツ外交官2名、捕虜援助物資および特殊潜航艇によるシドニー港攻撃戦死した日本兵遺骨引き取ると、9月11日大内によれば9月2日)に帰途就いた特殊潜航艇甲標的隊員遺骨四柱は、鎌倉丸乗組員制作した骨箱収められた。シンガポール日本人450名とタイ人4名が下船香港捕虜援助物資約1,000トン陸揚げした後、10月8日大内によれば9月27日)に横浜無事に到着した交換船としての任務終えた鎌倉丸は、1942年昭和17年10月15日から再び海軍徴用船となり、従前と同じ輸送任務従事した福井静夫海軍技術将校艦艇研究家によれば鎌倉丸型各艦は春日丸級/大鷹型〔八幡丸(雲鷹)、新田丸(冲鷹)〕の空母改造終了次第浅間丸級を逐次空母改造する予定であったという。しかし、3隻(鎌倉丸龍田丸浅間丸)とも空母改造される機会なく沈没した

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戦時中の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 02:37 UTC 版)

総統警護隊」の記事における「戦時中の行動」の解説

RSD長官であるラッテンフーバーはヒトラー野戦本部確保責任負っていた。ヒトラーは主に東部戦線における「総統大本営(Führerhauptquartier, FHQ)」で多くの期間を過ごしており、ヒトラーがこの司令部最初に到着したのは1941年6月であり1944年11月20日最後出発まで3年半の間、計800日以上をそこで過ごしている。総統大本営にはRSDと共にFBK隊員警備についた。「狼の巣Wolfsschanze)」は鉄製フェンス囲われRSDFBK兵士警備しておりヒトラーブンカーと、厚さ2メートル鉄筋コンクリート作られた計10個のカモフラージュされたブンカーからなった。この地域には、数人要人宿舎本部職員2つ食堂通信所国防軍の『総統護衛旅団ドイツ語版)(Führer Begleit Brigade, FBB)』の兵舎があった。外周地雷FBB兵士によって警備され監視塔検問所などが配置されていた。 1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂事件においてFBKRSD隊員による陰謀暗殺未遂計画はなく、特にFBK隊員ヒトラーとの古い関係であり隊員全てヒトラー忠誠誓っていた。

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