批判・論評
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 07:35 UTC 版)
批判としては、同時代に雑誌『人民文庫』に拠った武田麟太郎他によるものがあり、『人民文庫』代表と『日本浪曼派』代表との間の座談会も企画された(未來社刊行の『現代日本文学論争史』の中巻、「日本浪曼派論争」に収録されている)。 立原道造の友人であった杉浦明平(戦後の一時期日本共産党員だった)は、立原の才能を惜しむ立場から、戦後まもなく刊行した『暗い夜の記念に』(風媒社で新版再刊)などで保田たちの戦時中の行動を激しく批判した。 橋川文三は、初期代表作『日本浪曼派批判序説』(未來社、初刊1960年)で、日本浪曼派の基盤も含め深く分析している。 三島由紀夫は、30代後半に著した「私の遍歴時代」で、国文学の師・清水文雄や蓮田善明が主宰した『文藝文化』(日本浪曼派系の文芸誌)に関し「戦争中のこちたき指導者理論や国家総力戦の功利的な目的意識から、あえかな日本の古典美を守る城砦であつた」と回想している。
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