橋川文三
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橋川 文三(はしかわ ぶんそう/ぶんぞう[1]、1922年1月1日 - 1983年12月17日)は、日本の政治学者、評論家。弘文堂社員、元明治大学政治経済学部教授。専門は日本政治思想史。
- ^ 奥付で「ぶんそう」としていることが多いが、『日本近代文学大事典』では「ぶんぞう」、国会図書館も「ぶんぞう」である。
- ^ 『第一高等学校一覧 昭和18年至昭和19年』第一高等学校、1944年、142頁。
- ^ a b c 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ 竹内洋 2011, p. 97
- ^ 「『潮流』の時代」『思想の科学』1981年5月号
- ^ 竹内洋 2011, p. 98
- ^ 峯島正行『荒野も歩めば径になる ロマンの猟人・尾崎秀樹の世界』実業之日本社 P.382
- ^ 「回天詩史」「常陸帯」「弘道館記述義」「東湖随筆」「見聞偶筆」、会沢正志斎「新論」、藤田幽谷「修史始末」
- ^ 副題は、社会の矛盾を撃つ思想 いま日本を考える
橋川文三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)
思想史家、評論家。戦中・戦後精神史の観点から三島作品を論じて『鏡子の家』を高評し、三島から信頼されて三島伝を書くなどしたが、『文化防衛論』に関しては政治学的視点から文化的天皇の機能についての問題点を指摘し、それに答える形で三島は『橋川文三への公開状』で反論した。橋川は三島の自死の意味を、高山彦九郎、神風連、横山安武、相沢三郎や、「無名のテロリスト」の朝日平吾や中岡艮一と同じように位置づけた。
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