橋川文三とは? わかりやすく解説

橋川文三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 23:12 UTC 版)

橋川 文三(はしかわ ぶんそう/ぶんぞう[1]1922年1月1日 - 1983年12月17日)は、日本政治学者評論家弘文堂社員、元明治大学政治経済学部教授。専門は日本政治思想史


  1. ^ 奥付で「ぶんそう」としていることが多いが、『日本近代文学大事典』では「ぶんぞう」、国会図書館も「ぶんぞう」である。
  2. ^ 第一高等学校一覧 昭和18年至昭和19年』第一高等学校、1944年、142頁。 
  3. ^ a b c 日外アソシエーツ現代人物情報
  4. ^ 竹内洋 2011, p. 97
  5. ^ 「『潮流』の時代」『思想の科学』1981年5月号
  6. ^ 竹内洋 2011, p. 98
  7. ^ 峯島正行『荒野も歩めば径になる ロマンの猟人・尾崎秀樹の世界』実業之日本社 P.382
  8. ^ 「回天詩史」「常陸帯」「弘道館記述義」「東湖随筆」「見聞偶筆」、会沢正志斎「新論」、藤田幽谷「修史始末」
  9. ^ 副題は、社会の矛盾を撃つ思想 いま日本を考える


「橋川文三」の続きの解説一覧

橋川文三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

三島由紀夫」の記事における「橋川文三」の解説

思想史家評論家戦中戦後精神史観点から三島作品論じて『鏡子の家』高評し、三島から信頼され三島伝を書くなどしたが、『文化防衛論に関して政治学視点から文化的天皇機能についての問題点指摘し、それに答える形で三島は『橋川文三への公開状』で反論した川は三島自死の意味を、高山彦九郎神風連横山安武相沢三郎や、「無名テロリスト」の朝日平吾中岡艮一同じよう位置づけた。

※この「橋川文三」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「橋川文三」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「橋川文三」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



橋川文三と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「橋川文三」の関連用語

橋川文三のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



橋川文三のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの橋川文三 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの三島由紀夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS