朝日平吾
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朝日 平吾(あさひ へいご、1890年〈明治23年〉7月26日[1][2][注釈 1] - 1921年〈大正10年〉9月28日[4])は、日本の政治活動家・右翼・テロリスト。明治の実業家・安田善次郎を暗殺したことで知られる。
注釈
- ^ 『嗚呼朝日平吾』の「朝日平吾年表」では7月15日となっている[3]。
- ^ 実在の人物であり、渋沢栄一の他に、朝日が度々事業運営のためと称して金を融通してもらっていた人物でもある。勿論、風間本人は事件と何の関係もない。
- ^ その事を端的に表すエピソードとして、事件を伝える号外が東京で出た時、「大馬鹿者が殺された。面白い号外」と東京本所の善次郎本邸前で叫ぶ号外売りもいたという。
- ^ この事件の犯人である中岡艮一は警察の取り調べに対し、当事件に刺激を受けたと語っている。
出典
- ^ 伊藤 1931, p. 221.
- ^ 中島 2009, p. 32.
- ^ 奥野 1922, p. 282.
- ^ "朝日 平吾". 20世紀日本人名事典. コトバンクより2022年10月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g 兇漢朝日平吾の素性『黄金王の死』米山隆夫 著 (時事出版社, 1921)
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 28頁。
- ^ 『大宰相・原敬』p775福田和也、PHP研究所, 2013
- ^ 中島岳志×鈴木邦男~新右翼×リベラル保守~ 思想をめぐる対論:貧困問題から憲法まで(その2)貧困問題と暴力
- ^ 『黄金王の死』p134
- ^ 『黄金王の死』p139
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