やすだ‐ぜんじろう〔‐ゼンジラウ〕【安田善次郎】
安田善次郎 やすだ ぜんじろう
富山生まれ。実業家。安田財閥の創設者。父は富山藩下級藩士。17歳で江戸に出、丁稚奉公の後元治元年(1864)両替店安田屋を開業。太政官札・公債などの取引、官公預金などで蓄財し、東京屈指の金融業者となる。明治9年(1876)第三国立銀行の創立に参加、13年(1880)に安田銀行を開業。15年(1882)には創立された日本銀行の理事に就任した。また、生命保険・損害保険業にも進出した。晩年東京大学安田講堂、日比谷公会堂を寄付。大正10年(1921)国粋主義者朝日平吾に暗殺された。
キーワード | 実業家 |
---|
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
安田善次郎(初代)
安田善次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 13:32 UTC 版)
初代 安田 善次郎(やすだ ぜんじろう、天保9年10月9日〈1838年11月25日〉 - 大正10年〈1921年〉9月28日)は、日本の実業家[1]。茶人。幼名は岩次郎。号は松翁。安田財閥の祖。
- ^ 朝日日本歴史人物事典「安田善次郎」
- ^ a b c d 百年史 1998, p. 10.
- ^ a b 百年史 1998, p. 12.
- ^ 百年史 1998, p. 12-13.
- ^ 百年史 1998, p. 13.
- ^ (株)富士銀行『富士銀行百年史. 別巻』(1982.03)渋沢社史データベース
- ^ 都立高等学校 地理歴史科用 江戸から東京へ 71頁、東京都教育委員会
- ^ 制限選挙期における東京市会議員総選挙の結果について(櫻井良樹)
- ^ 暗殺者の朝日は1890年(明治23年)生まれ、伝記が2009年(平成21年)に出されている。/ 中島岳志 『朝日平吾の鬱屈』(筑摩書房〈双書Zero〉)。
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)326頁
- ^ 史跡文化財めぐり 1984, p. 14.
- ^ 引き継がれた善次郎翁の「社会への貢献」 墨田区横網安田不動産株式会社
- ^ 『官報』第1278号「叙任及辞令」1887年9月30日。
- ^ 『官報』第1278号「彙報 - 褒章」1887年9月30日。
- ^ 『官報』第5589号「叙任及辞令」1902年2月24日。
- ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
- ^ a b c d e f 安田氏の家系『安田善次郎伝』矢野竜渓 著 (安田保善社, 1925)
- ^ 安田善次郎二代目 国立国会図書館
- ^ 安田善五郞 (男性) 日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ 安田善雄 (男性)人事興信録データベース(名古屋大学)
- ^ 安田善四郞 (男性)人事興信録データベース(名古屋大学)
- ^ a b 大和滋 岩淵潤子(編)「明治・大正・昭和期の芸能と旦那」『「旦那」と遊びと日本文化』PHP研究所 1996 ISBN 4569551521 pp.101-110.
- 1 安田善次郎とは
- 2 安田善次郎の概要
- 3 親族
- 4 人物
- 5 関連項目
安田善次郎と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 安田善次郎のページへのリンク