渡来
姓 | 読み方 |
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渡来 | とく |
渡来 | とらい |
渡来 | わたき |
渡来 | わたぎ |
渡来 | わたらい |
渡来人
(渡来 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:10 UTC 版)
渡来人(とらいじん)とは、広義には、大陸から日本列島に渡って来た人々を意味する。歴史用語としては、3世紀から7世紀頃に大陸(中国、朝鮮半島など)から日本に移住した人々(移民)を指すことが多い。人類学では、弥生時代以降にユーラシア大陸から渡来した人々(渡来系弥生人など)の総称として用いられることが多い[1][† 1][2]。
注釈
- ^ 日経サイエンス8月号 「特集ヤポネシア 47都道府県人のゲノムが明かす 日本人の起源」 ではこの意味で「渡来人」の語が用いられている。
- ^ この時代の日本は、『漢書』には倭人が季節ごとに楽浪郡に使者を遣わしてくるとあり(『漢書』地理志 「樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」)、『後漢書』には倭国王帥升が107年の入貢の際に160人もの人(生口、奴隷のこと)を送ったと記録されている(『後漢書』 安帝紀 永初元年(107年)「倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」)。また卑弥呼や台与(壹與)の時代にも生口を送っている記録があり、日本側からも人を送っていたことが見受けられる。
- ^ 5世紀後半~6世紀に朝鮮半島から移住した技術をもった人々を『日本書紀』では「古渡才伎(こわたりのてひと)」に対して「今来才伎(いまきのてひと)」と呼んでいる。『日本書紀』「雄略紀」によれば今来才伎は百済から献上された人々である(雄略天皇七年「集聚百済所貢今来才伎於大嶋中」)。
出典
- ^ 横田健一「白鳳天平芸術精神史研究序説 : 群像形式と憂欝性の表現を中心として」『関西大学東西学術研究所紀要』第6巻、関西大学東西学術研究所、1973年3月、 41-57頁、 ISSN 02878151、 NAID 120006494410。
- ^ 州浜昌利「秦氏の性格について」『法政史学= 法政史学』第11号、法政大学史学会、1958年11月、 103-108頁、 doi:10.15002/00011858、 ISSN 0386-8893、 NAID 120005626029。
- ^ NAOKI OSADA, YOSUKE KAWAI (2021). “Exploring models of human migration to the Japanese archipelago using genome-wide genetic data”. Anthropological Science (日本人類学会) 129 (1): 45-58. doi:10.1537/ase.201215. ISSN 0918-7960. NAID 130008030483 .
- ^ 破斯清道#文献記録におけるペルシャ人および李密翳を参照。
- ^ 平野邦雄『帰化人と古代国家』(吉川弘文館 2007年)pp.1-10
- ^ a b c 平野邦雄『帰化人と古代国家』(吉川弘文館 2007年) p.2
- 1 渡来人とは
- 2 渡来人の概要
- 3 朝鮮半島における流入民
「渡来」の例文・使い方・用例
- 仏教は538年に日本に渡来した。
- 仏教は欽明天皇の御世に我が邦に渡来した
- 仏教の渡来
- アジアからヨーロッパに渡来した、深海に住む旧世界産の大型の淡水魚
- (江戸時代),渡来した外国船の船長
- 外国から渡来した〜
- 中国から渡来した〜
- 中国から渡来した糸
- 中国渡来の糸で織った織物
- 中国から渡来した織物
- 中国渡来の織物に倣って織った織物
- 中国渡来のものをまねて作られた,色彩豊かな模様のある紙
- 江戸時代,オランダなどから渡来した鞣し革
- 百済楽という,百済から渡来した舞楽
- 朝鮮渡来の陶磁器
- 古切れという,江戸時代以前に外国から渡来した織物
- 高句麗渡来の錦
- 昔に外国から渡来したこと
- 昔に外国から渡来した品物
- 唐から渡来した,棹に反りがなく弦が5本の琵琶
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