と らい [0]【渡来】
渡来
| 姓 | 読み方 |
|---|---|
| 渡来 | とく |
| 渡来 | とらい |
| 渡来 | わたき |
| 渡来 | わたぎ |
| 渡来 | わたらい |
渡来人
(渡来 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/25 23:51 UTC 版)
渡来人(とらいじん)とは、広義には、海外から日本に渡って来た人々を意味するが、歴史用語としては、4世紀から7世紀頃に、中国大陸及び朝鮮半島から日本に移住した人々を指すことが多い。帰化人との違いについては下記節を参照。
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注釈
- ^ 水稲には中国大陸から海を渡って直接日本に渡来したものと、山東半島から朝鮮半島南部を経由して日本へ渡来したものがあるとする説が有力視されている。国立歴史民俗博物館の研究プロジェクトによると弥生時代の開始年代は紀元前10世紀であり、日本における水稲稲作の開始時期は朝鮮半島に先行する。
- ^ この時代の日本は、『漢書』には倭人が季節ごとに楽浪郡に使者を遣わしてくるとあり(『漢書』地理志 「樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」)、『後漢書』には倭国王帥升が107年の入貢の際に160人もの人(生口、奴隷のこと)を送ったと記録されている(『後漢書』 安帝紀 永初元年(107年)「倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見」)。また卑弥呼や台与(壹與)の時代にも生口を送っている記録があり、日本側からも人を送っていたことが見受けられる。また、『三国史記』新羅本紀は新羅の4代王「脱解尼師今(だっかい・にしきん、生没年不詳)」は倭人である(「脱解本多婆那國所生也 其國在倭國東北一千里。」)と伝えている。
- ^ 5世紀後半~6世紀に朝鮮半島から移住した技術をもった人々を『日本書紀』では「古渡才伎(こわたりのてひと)」に対して「今来才伎(いまきのてひと)」と呼んでいる。『日本書紀』「雄略紀」によれば今来才伎は百済から献上された人々である(雄略天皇七年「集聚百済所貢今来才伎於大嶋中」)。
- ^ 孫正義のTwitterでの発言より [1]。約1000年前に中国南朝の(南)宋から戦乱を避け高麗へ流入した一族の末裔とのことである。
出典
- 1 渡来人とは
- 2 渡来人の概要
- 3 朝鮮半島における流入民
- 4 脚注
品詞の分類
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