樺太アイヌとは? わかりやすく解説

樺太アイヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/07 01:09 UTC 版)

樺太アイヌ(からふとアイヌ、アイヌ語: repunmosir-un-kuru)あるいはサハリンアイヌ英語: Sakhalin Ainu)とは、かつて樺太南部に居住していたアイヌ系民族である。樺太アイヌ語ではエンチウと呼ばれる[1]


  1. ^ 知られざるアイヌと北方少数民族【前編】 アイヌ新法への本音 - NEWSポストセブン 2020年2月9日 2023年3月4日閲覧。
  2. ^ a b c d 伊藤 2008, p. 344.
  3. ^ a b c 伊藤 2008, p. 345.
  4. ^ a b c 鈴木 1996, p. 46.
  5. ^ 鈴木 1996, p. 47.
  6. ^ a b 鈴木 1996, p. 48.
  7. ^ 鈴木 1996, p. 49.
  8. ^ a b 鈴木 1996, p. 50.
  9. ^ 山本1943,24-34頁
  10. ^ 山本1943,63頁
  11. ^ 北海道教育庁社会教育部文化課1987,19-20頁


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樺太アイヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 03:40 UTC 版)

アイヌの歴史」の記事における「樺太アイヌ」の解説

樺太アイヌも国際情勢の変化影響強く受けた樺太・千島交換条約伴って樺太ロシア領になることから、同条約発効先立つ1875年10月、もともと樺太南部亜庭湾周辺居住し日本国籍選択した108戸841名が宗谷移住し翌年6月には対雁(現江別市)に移された。生活環境変化加え、運の悪いこと1886年コレラさらには天然痘流行追い討ちをかけ、300名以上が死去したという。1905年日露戦争に関するポーツマス条約によって南樺太日本領になると、1906年漸く樺太アイヌは再び故郷の地を踏むことができるようになった。樺太アイヌは樺太庁によって当初戸籍法上は樺太戸籍入って樺太土人として扱われていたが、1932年1月戸籍法上は内地人と同様となり内地人と扱われるようになった第二次世界大戦後樺太全域ロシア当時ソ連)の占領下となり、同国政府によって樺太アイヌのほとんどが北海道へ強制送還された。しかしながらアイヌは現在も樺太少数ながら住んでいる。

※この「樺太アイヌ」の解説は、「アイヌの歴史」の解説の一部です。
「樺太アイヌ」を含む「アイヌの歴史」の記事については、「アイヌの歴史」の概要を参照ください。

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