流鬼国とは? わかりやすく解説

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流鬼国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/25 07:51 UTC 版)

流鬼国(りゅうきこく)は、7世紀ごろにオホーツク海沿岸地域に居住していた民族太宗の治世、640年貞観14年)に1度だけ朝貢を行ったことが漢文史料に記録されている。流鬼国が、現代のいずれの民族に連なる集団であるかについては様々な説が唱えられてきたが、オホーツク文化人(現在樺太北部や黒龍江下流域に居住するニヴフ人)に当てる説がある[1][注釈 1]


注釈

  1. ^ 例えば、アイヌ史研究者の榎森進は「……[オホーツク文化人の起源を巡る議論について]筆者は現段階では、菊池俊彦のギリヤーク(現ニヴフ)民族の先祖説が最も妥当な見解だと受け止めている。というのも、菊池氏の見解は、単に考古学の研究成果のみならず日本と中国のこの時期に関する記録や民族学の研究成果を総合して導き出された説得力のある見解だからである」と評している[2]。また、『北海道の古代・中世がわかる本』(関口明・越田賢一郎・坂梨夏代著、亜璃西社、2015年)のような概説書においても「流鬼が住んだ場所については、樺太説とカムチャッカ説があり、筆者は樺太で暮らしたオホーツク文化の人々を指すと考える(87-88頁)」と記され、菊池俊彦の研究を挙げている。
  2. ^ なお、唐代における史料では「北海」は主にモンゴル高原の北端となるバイカル湖を指す。『通典』が流鬼国を「北狄」に分類したのはバイカル湖北方に存在すると考えたためであり、後に編纂された『新唐書』などでは正確な知識に基づいて「北海」は「少海」に訂正されると同時に、「北狄」ではなく「東夷」に分類されるようになっている[6]
  3. ^ ここで言う「小海」の具体的な位置は、間宮海峡の中でも大陸と樺太との距離が最も狭い部分(本来はこの部分のみを「間宮海峡」と言った)より南の海域を指すと考えられる[7]
  4. ^ 菊池俊彦による流鬼国=オホーツク文化人説は1977年に北海道大学文学部で開催されたシンポジウム「オホーツク文化の諸問題」で、シンポジウムの内容は翌年に『北方文化研究』12号に掲載され、シンポジウムの全容は『シンポジウム オホーツク文化の諸問題』(学生社、1982年)として刊行され知られるようになった[21]
  5. ^ 『通典』には「[流鬼の]人はみな、皮の服を着ている。また狗(イヌ=犬)の毛や麻で布をつくって、これを着る。婦人は冬に豕(ブタ=豚)皮製や鹿皮製の衣服を着て、夏には魚皮製の衣服を着ている(人皆皮服、又狗毛雜麻為布而衣之、婦人冬衣豕鹿皮、夏衣魚皮、制与獠同)」という記述がある(訳文・原文は菊池2009,17-18頁より引用)。
  6. ^ なお、佐藤達夫の説を支持する天野哲也は豚飼育の伝統がないカムチャッカ半島の流鬼国人が豚の皮を用いた服を持っていたのは、豚飼育を行う靺鞨からの交易で入手していたためであると論じている。しかし、菊池俊彦は靺鞨の住まうアムール川流域からはるか遠いカムチャッカ半島の住人が恒常的に靺鞨から豚皮を手に入れていたというのは非現実的であり、考古学研究の成果によって豚飼育をしていたことが確実なオホーツク文化人に当てるのが妥当な解釈である、と批判している[23]

史料

  1. ^ 『唐会要』巻99「流鬼国:流鬼。去京師一万五千里。直黒水靺鞨東北。少海之北。三面阻海。多沮沢。有魚鹽之利。地気早寒。毎堅冰之後。以木広六寸。長七尺。施系於其上。以踐層冰。逐其奔獣。俗多狗。以其皮毛為裘褐。勝兵万人。南与莫曳靺鞨鄰接。未嘗通聘中国」[5]
  2. ^ 『資治通鑑』巻195唐紀11「[貞観十四年三月]辛丑、流鬼国遣使入貢。去京師万五千里、濱於北海、南鄰靺鞨、未嘗通中国、重三訳而来。上以其使者佘志為騎都尉[9]
  3. ^ 『新唐書』巻220列伝145東夷伝「流鬼去京師万五千里、直黒水靺鞨東北、少海之北、三面皆阻海、其北莫知所窮。人依嶼散居、多沮沢、有魚鹽之利。地蚤寒、多霜雪、以木広六寸・長七尺系其上、以踐冰、逐走獣。土多狗、以皮為裘。俗被発。粟似莠而小、無蔬蓏它穀。勝兵万人。南与莫曳靺鞨鄰、東南航海十五日行、乃至。貞観十四年、其王遣子可也余莫貂皮、更三訳来朝。授騎都尉、遣之[5]

出典

  1. ^ a b 菊池 2009, pp. 166–167.
  2. ^ a b c 榎森 2007, pp. 33.
  3. ^ 原文は(菊池 2009, pp. 18)より引用
  4. ^ 訳文は(菊池 2009, pp. 17–19)より引用
  5. ^ a b c 和田 1942, pp. 463–464.
  6. ^ 菊池 2004, pp. 44–46.
  7. ^ 菊池 2004, pp. 46–47.
  8. ^ 菊池 2009, pp. 21–22.
  9. ^ 菊池 2009, pp. 143–145.
  10. ^ 菊池 2009, pp. 33–34.
  11. ^ 菊池 2004, pp. 142–146.
  12. ^ 菊池 2009, pp. 38–41.
  13. ^ 蓑島 2006, pp. 80–86.
  14. ^ 菊池 2009, pp. 44–47.
  15. ^ 菊池 2009, pp. 47–50.
  16. ^ 白鳥 1970, pp. 83–84.
  17. ^ 菊池 2009, pp. 51–53.
  18. ^ 菊池 2009, pp. 56–62.
  19. ^ 佐藤 1978, pp. 334.
  20. ^ 菊池 2009, pp. 62–72.
  21. ^ 菊池 2009, pp. 132–134.
  22. ^ 菊池 2009, pp. 160–163.
  23. ^ 菊池 2004, pp. 59–61.
  24. ^ 蓑島 2015, pp. 50–51.
  25. ^ 蓑島 2010, pp. 132.
  26. ^ 蓑島 2015, pp. 154–157.
  27. ^ 訳文は(菊池 2009, pp. 18–19)より引用
  28. ^ 菊池 2009, pp. 175–193.
  29. ^ 菊池 2009, pp. 183–193.
  30. ^ 菊池 2009, pp. 149–152.
  31. ^ 菊池 2009, pp. 193–197.
  32. ^ 津曲 2010, pp. 548–549.
  33. ^ 菊池 2004, pp. 103.
  34. ^ 菊池 2004, pp. 75–77.


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