何秋濤説(1885年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:36 UTC 版)
19世紀半ば、ロシア帝国の南下政策によって黒竜江以北がロシア領となる最中、清朝の学者何秋濤は、歴史的に沿海地方・北樺太が歴史的に中国に属するものであると主張する『北徼彙編』(後、『朔方備乗(中国語版)』と改題)を発表した。何秋濤の著書は流鬼国の所在地について初めて言及した研究であり、「三面はみな大海にあたる」という記述を単純に解釈し、三方を海に囲まれたカムチャッカ半島こそが流鬼国の所在地であると述べている。
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