和田清説(1954年)
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元・明・清代の北アジア・東北アジア諸民族の歴史研究に優れた業績を挙げた和田清は、当初は白鳥庫吉の流鬼国=樺太説を支持していたが、後に考えを変えて1954年に論文「唐代の東北アジア諸国」を発表し、流鬼国=カムチャッカ半島説を支持した。和田はまず唐代の靺鞨系諸族の居住地から考察を行い、思慕靺鞨がサマギール、郡利靺鞨がギリヤーク(ニヴフ)、窟設靺鞨が樺太アイヌ、莫曳皆(莫設)靺鞨が北海道アイヌに相当すると論じた。その上で、莫曳皆靺鞨=北海道アイヌの北に居住する流鬼国はカムチャッカ半島に住まうカムチャダール(イテリメン)であると述べ、「海の中の島に依って散居している」という記述はこのころのカムチャダールは千島列島にも居住していたことに由来するのであろうと述べる。ただし、この和田説は民族名の類似に依拠して議論が組み立てられており、蓋然性に欠けるとの批判がなされている。
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