和田監督時代
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2012年 球団創立以来初のキャプテン制度を導入し、野手キャプテンに鳥谷敬、投手キャプテンに藤川球児がそれぞれ就任。 5月以降の全月間で負け越すなどシーズンを通して不調に陥り、最終的に首位巨人と31.5ゲーム差、3位ヤクルトと11.5ゲーム差の5位に終わる。411得点、58本塁打はリーグ最少、24無得点試合はリーグ新記録で、規定打席到達者の最高打率が鳥谷の.262 など貧打に苦しみ、特に、巨人に対して5勝15敗4分、2位の中日にも7勝15敗2分と上位2球団との対戦で結果を残すことができなかった。城島、金本が現役引退。藤川が海外FAでMLBのシカゴ・カブスへ、平野恵一がFAでオリックスへ移籍した。MLBから西岡剛と福留孝介が入団。FAでオリックスの日高剛を獲得。ドラフトで藤浪晋太郎を1位指名し、4球団競合の末に獲得、中村勝広GMがビデオを見て2分で獲得に動いたブルックス・コンラッドが加入。 2013年 2年間アメリカでプレイしていた西岡、4球団の末獲得した藤浪など、新戦力が噛み合い開幕から巨人と首位争いを繰り広げ、6月に首位に立ったものの、新外国人のコンラッドが58打席連続無得点など不振でその後巨人が首位に返り咲いて以降は首位に立つことができずにシーズン終了、9月22日に巨人のリーグ優勝が決定した。最終的にはシーズン2位となり、3年ぶりのAクラス入り・CS進出を果たした。しかし、3位・広島とのCS1stステージ(甲子園)は2連敗で敗退。桧山進次郎が引退。10月より掛布雅之が新設のゼネラルマネジャー付育成&打撃コーディネーター(DC)に就任した。 2014年 開幕戦に西岡と福留が交錯するも前年に続き巨人・広島との優勝争いとなり、一時は首位・巨人に0.5ゲーム差と迫ったものの長期ロード明け以降に失速。2年連続のシーズン2位に終わった。マートンが首位打者、マウロ・ゴメスが打点王、メッセンジャーが最多勝と最多奪三振、呉昇桓が最多セーブを獲得し、NPB史上初めて1チーム4人の外国人選手がタイトルを獲得。また福原忍の最優秀中継ぎと合わせて、球団タイ記録の1シーズン5人・6部門のタイトル獲得を果たした。3位・広島とのCS1stステージ(甲子園)を1勝1分とし球団初のファイナルステージに進出。巨人とのファイナルステージ(東京ドーム)ではシリーズ史上初の4連勝を果たし、初めてCSを勝ち抜いての日本シリーズ進出となった。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズは甲子園での最初の2戦を1勝1敗で終えた後、2003年の日本シリーズと同様に敵地福岡での全試合で敗れ1勝4敗で敗退。2004年以降のポストシーズン制導入後、レギュラーシーズン2位以下で日本シリーズに進出して日本一になれなかったのは初である。 2015年 球団創設80周年を迎えた。5月28日の楽天戦で、巨人に続いて2球団目となる球団通算5000勝を達成、7月3日の対横浜DeNAベイスターズ戦ではNPB史上初の通算1万試合を達成した。広島とのクライマックスシリーズ争いは制したものの、得点リーグ最下位、チーム打率4位、チーム防御率5位などと低迷した。シーズン2位の巨人とのCS1stステージでは、1勝2敗で敗退となった。リーグ優勝を逃した責任を取り和田監督が退任した他、計8人のコーチを解任。関本賢太郎が現役を引退。呉昇桓がセントルイス・カージナルスに移籍した。新監督に金本知憲、新二軍監督に掛布雅之DCが就任のほか、矢野燿大、片岡篤史、濱中治、今岡誠、藤本敦士といったかつての「優勝メンバー」がコーチとして顔をそろえた。中日からFA宣言した高橋聡文を獲得。同年途中から四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスに入団していた藤川球児が4年ぶりに復帰。
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