民族名とは? わかりやすく解説

民族名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/07 07:00 UTC 版)

民族名(みんぞくめい)またはエスノニム(ethnonym)は民族集団の名前、呼称である。エスノニムには、外名=エクソニム(exonym)と内名 =エンドニム(endonym, autonym)がある。

例えば、ドイツ人の英語名称(外名)は「Germans」であるが、ドイツ語名称(内名)は「Deutschen」である。日本人の英語名称(外名)は「Japanese」であるが、日本語名称(内名)は「日本人」である。

人名研究の下位分野として、民族名の研究はethnonymy または ethnonymicsと呼ばれる。

エスノニム(民族名)は、民族にかかわらずある地域に住む住民全てを指す住民名とは、明確に区別すべきものである[1]

脚注

  1. ^ Roberts, Michael (2017). "The Semantics of Demonyms in English". The Semantics of Nouns. Oxford: Oxford University Press. pp. 205–220.

民族名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 17:30 UTC 版)

レズギ人」の記事における「民族名」の解説

ファイル:Lezgian people Leki.jpg レズギ人 レズギ人という民族名の由来に関しては、さらなる研究求められている。とはいえ大半研究者はレズギ(Lezgi)の起源古代のLegiおよび中世初期のLakziからであろう考察している。 現代レズギ人は、インド・ヨーロッパ語族導入以前よりこの地域話されてきた北東コーカサス語を話す。彼らは文化的に言語的にも、ダゲスタン南部アグール人や、少し遠いところではツァフル人ルトゥル人タバサラン人レズギ人北方隣人)と密接に関係している。もっと遠方ではあるが、アゼルバイジャン北部少数民族であるジェク人、クリツ人、ラク人、シャダフ人、ブドゥフ人、キナルグ人とも関連がある。これらのグループレズギ人と共にレズギ語話者である先住民サムール支族形成するレズギ人は、青銅器時代ダゲスタン南部地域居住した人々からの子孫の一部だと信じられている。しかし、ヨーロッパとアジア全体人口への遺伝的つながりを示すパキスタンブルショー人との著し類似性など過去4000年の間に中央アジア人種かなりの混合起きたことを示すDNA上の証拠いくつかある。 ロシア革命以前は、レズギ人民族集団としての共通の自称持っていなかった。彼らは地域宗教一族、または自由社会によって自分自身呼びならわしていた。革命前は、レズギ人ロシア人から「Kyurintsy」「Akhtintsy」「Lezgintsy」と呼ばれていた。「レズギ人(Lezgin)」という民族名自体にもかなりの問題がある。ソビエト時代以前は「Lezgin」という言葉様々な文脈使われていた。現在のレズギ人として知られる人々だけを指す場合もあったが、他にはダゲスタン南部レズギ人アグール人ルトゥル人タバサラン人ツァフル人)の様々な人々全てを指すこともあり、ダゲスタン南部およびアゼルバイジャン北部(クリツ人、ジェク人、キナルグ人、ブドゥフ人、シャダフ人)の人々全て北東コーカサス語話者全て、または北東コーカサス人(アヴァール人ダルギン人ラク人チェチェン人イングーシ人)のうち先住民ムスリム全てを指すこともあった。革命以前作品を読む際には、「レズギ人」という民族名の意味する範囲が様々であることに注意する必要があるロシア革命以前は、「レズギ人」が現在のロシアダゲスタン共和国居住する全ての民族適用される用語であった19世紀には、コーカサス地方アヴァール人ラク人ほか多数含めナフ語派以外の北東コーカサス言語を話す全ての民族グループを指すものとして、この用語がより広い意味で使用された(ただし、北東コーカサス言語を話すヴェナフ人は「Circassians」と呼ばれた)。

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民族名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 14:43 UTC 版)

ウクライナ人」の記事における「民族名」の解説

詳細は「ルーシ人」、「コサック」、および「ホホール人」を参照 歴史上ウクライナ人様々な民族名で知られている。9世紀から13世紀にかけてウクライナ地域ルーシ呼ばれたことから、中世前期以降この地域住民ルーシ人(ルスィーヌィ)と呼ばれるようになったまた、14世紀より正教聖職者書簡ではウクライナを「小ロシア」と呼ぶ風習があり、17世紀以降ウクライナ正教ロシア・ツァーリ国併合されると、19世紀までウクライナ人小ロシア人(マロロースィ)と呼ばれていた。そのほかに15世紀から18世紀末にかけてウクライナ住民多くコサックであったことから、コサック(コザクィー)がウクライナ人のことを意味した時代があった。 ウクライナという地名12世紀後半から『ルーシ年代記』に見られるが、「ウクライナ人」という用語は16世紀まで普及していなかった。17世紀半ばヘーチマン国家成立すると、「ウクライナ人」は民族名として「ルーシ人」、「小ロシア人」、「コサック」の同義的に用いられるようになった。さらに、18世紀から19世紀にそれらの民族名はウクライナ出身知識人活動によって「ウクライナ人」という民族名で統一された。

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