開拓使とは? わかりやすく解説

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かいたく‐し【開拓使】

読み方:かいたくし

明治2年(1869)、北海道サハリン樺太)の開拓のために設けられ機関米国人ケプロンほか多数外国人指導各種開発事業行った明治15年(1882)廃止


開拓使

読み方:カイタクシ(kaitakushi)

明治初期太政官官庁


開拓使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/07 10:03 UTC 版)

開拓使(かいたくし)は、北方開拓のために明治2年(1869年7月8日から明治15年(1882年2月8日まで置かれた日本官庁である。




「開拓使」の続きの解説一覧

開拓使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/09 07:58 UTC 版)

沖鷹丸」の記事における「開拓使」の解説

1876年(明治9年)12月頃に冲鷹丸と開拓使所轄雷電丸の交換の話が出て冲鷹丸は1877年(明治10年)2月15日午前11時に横須賀造船所で主船局が引き取り石川島まで試運転行って午後7時に開拓使へ引き渡された。なお『日本近世造船史 明時代』では1877年(明治10年)2月5日に開拓使に交付、とされている。2月19日に開拓使から冲鷹丸に海賊対策として8cm砲2門、野戦砲1門の据付上申され、2月27日許可された。 同年西南戦争冲鷹丸は、外の開拓使所属船2隻(玄武丸・矯龍丸)と共に参加した冲鷹丸は2月17日から6月18日の間に房総半島沖、相模湾などで警備航海行った6月19日午後2時に品海出港途中で石炭積み込みなどで各地寄港し6月30日午後1時兵庫港到着した7月3日午前5時兵庫発、伊予三ゲ浜(三津浜港?)、豊後鶴崎長浜寄港し7月8日午後1時佐賀関着。翌9日午前6時同地出港し午後6時から1時間ほど細島港口で発砲行った10日に三ゲ浜に寄港12日正午神戸到着した24日神戸大坂の間を2往復した8月5日正午神戸発、石炭積み込み下田港寄港するなどし、8月15日午後2時、品海帰着した1878年(明治11年)3月26日冲鷹丸は北海道福島湾で暴風遭い沈没、砲などが失われた。また船長堀口貞之の外4名が波にさらわれ行方不明になった

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開拓使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/07 03:10 UTC 版)

北海道炭礦鉄道の客車」の記事における「開拓使」の解説

1880年11月幌内鉄道の開業にあたって用意され客車の1両で、ハーラン・アンド・ホリングスワース社製の「開拓使」1両のみが存在した詳細は、開拓使号客車参照されたい。

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開拓使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 23:43 UTC 版)

榎本武揚」の記事における「開拓使」の解説

Clip 榎本農場跡(江別市)の騎馬像道産子北海道産馬)をモデルにしているため、馬が小さめになっている1872年明治5年1月6日特赦により出獄親類宅で謹慎する3月6日放免となり、同月8日黒田次官務めていた開拓使に四等出仕として任官北海道鉱山検査巡回命じられた。 5月末、北垣国道とともに海路北海道へ向かう。翌月から函館周辺手始め日高十勝釧路方面資源調査行い帰京石炭隗を開拓使に持ち込んだ札幌在住早川長十郎情報元に石狩炭田関心を示す。 1873年明治6年1月中判官に昇進同年1月から3月にかけ、東京開拓使仮学校黒田榎本ケプロン地質調査方針策定のために三者会談を行う。榎本調査進めるため、黒田アメリカから招聘したホーレス・ケプロンとともに来道したが、ケプロン更迭されていたトーマス・アンチセルを再登用しようとした。しかし、別途ベンジャミン・スミス・ライマン地質調査を行わせていたケプロン反対される。同年夏、榎本再度北海道行き、熊石(現在の八雲町)の石炭山を調査した後、石狩山地入り空知炭田発見良質な炭層であると分析結果出した。しかしケプロンは、榎本調査結果認めず、「未熟の輩」と誹謗した北海道土地売貸規則制定されると、1873年明治6年)、早川長十郎案内され石狩川沿いの対雁ついしかり。現在の江別市)の土地10万坪、それと小樽現在の小樽駅周辺)の土地20坪を北垣国道とともに払い下げ受けた対雁には「榎本農場」を開き小樽には「北辰社」を設立し土地管理した

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開拓使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 03:02 UTC 版)

野口源之助」の記事における「開拓使」の解説

1873年明治6年5月8日神奈川県退職し17日開拓使御用掛・翻訳掛に転じ同日弁方・写真取扱9月22日外国注文取扱兼務し東京出張所外国人外国企業との交渉、開拓使博物場の資料管理等行った1874年明治7年12月9日金星の太陽面通過に当たり、旧春日丸乗組員吉田重親指名海軍水路寮出向し横浜メキシコ観測隊の通訳当日麻布飯倉観象台で写真撮影行った1878年明治11年8月9日幌内岩内両煤田開事務係を兼務しクロフォードによる官営幌内鉄道建設のため、東京物資調達行った1880年明治13年3月24日石狩河口改良係を兼務し、ファン・ヘントによる鉄道沿線水運計画に関わったが、ヘント急死等で中止となり、1881年明治14年6月23日改良係を解かれた。 1882年明治15年2月8日開拓使が廃止されると、開拓使残務取扱所大蔵省残務整理行った

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開拓使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 15:27 UTC 版)

青函航路」の記事における「開拓使」の解説

1873年明治6年)に開拓使が函館青森函館安渡現青森県むつ市大湊)間に汽船弘明丸を就航させ、それぞれ月3往復運航した

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開拓使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 07:43 UTC 版)

黒田清隆」の記事における「開拓使」の解説

戦後まもなく、明治2年1869年11月22日黒田中山清(せい)と結婚した樺太でのロシア圧力増したため、明治3年1870年5月樺太専任開拓次官となった7月から樺太に赴き、現地ロシア官吏との関係を調整し北海道視察して帰京した10月20日建議して、樺太3年も保たないとし、北海道開拓本腰を入れなければならない論じた明治4年1871年1月から5月まで、アメリカ合衆国ヨーロッパ諸国旅行した旅行中米国農務長官ホーレス・ケプロン黒田会って顧問赴くことを承諾し、他多数お雇い外国人招請の道を開いた帰国後、10月15日開拓長官東久世通禧辞任した後は、次官のまま開拓使の頂点立った明治7年1874年6月23日陸軍中将となり、北海道屯田憲兵事務総理命じられた。同年8月2日参議開拓長官となった黒田榎本箱館降った旧幕臣を開拓使に登用した。 黒田ケプロン献策もとづき基盤整備事業起こしたが、たちまち支出超過招いた。これに苦慮した黒田は、明治6年1873年)に事業縮小し即効性求めて産業振興重点移した

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