開拓使官有物払下げ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/16 05:58 UTC 版)
開拓使官有物払下げ事件(かいたくしかんゆうぶつはらいさげじけん)は、北海道開拓使長官であった黒田清隆が、開拓使の資産であった工場や土地などの官有物を安価、無利子で払下げることを決定したところ、世論の厳しい批判を浴び、払下げ中止となった事件を指す[1]。参議大隈重信が情報を漏洩したとして政府から追放される明治十四年の政変のきっかけとなったとされる[2]。
注釈
- ^ この熱海会議で払下げが決まったことについては、五代夫人の豊子の手記にあるが、『五代友厚伝記資料』の解説を執筆した新谷九郎は否定している[4]。
- ^ 関西貿易商会、関西貿易会社という表記も見られる[6]。
- ^ 土方久元の回想による。一方で参議の一人であった山田顕義は、閣議では反対は出ず、大隈も補助金についてのみ後になってから反対したとしている[11]。
- ^ これは明らかな誤報であり、前述のように破格の条件で払下げを申し出たのは北海社であり、五代の関西貿易社とは無関係であるが、現代でも『払下げの相手が五代である』と誤解されていることが多い。例えば、下記外部リンクの『開拓使官有物払下げ事件』-コトバンクの項目を参照
出典
- ^ 宮地英敏 2014, p. 177.
- ^ a b 宮地英敏 2014, p. 178.
- ^ 宮地英敏 2014, p. 182.
- ^ a b c d 宮地英敏 2014, p. 179.
- ^ a b 木曽朗生 2005, p. 93-94.
- ^ “明治14年に五代友厚が関西貿易社を創立しているが、明治16年に解散しているようである。その間の詳細が分かる資料はあるか。”. レファレンス協同データベース. 2021年11月22日閲覧。
- ^ 宮地英敏 2014, p. 181.
- ^ 宮地英敏 2014, p. 181-182.
- ^ a b 宮地英敏 2014, p. 183.
- ^ 木曽朗生 2005, p. 103-106.
- ^ 木曽朗生 2005, p. 126-127.
- ^ a b 伊藤之雄 2019, p. 282-283.
- ^ 木曽朗生 2005, p. 89-90.
- ^ 伊藤之雄 2019, p. 284.
- ^ 木曽朗生 2005, p. 109.
- ^ 宮地英敏 2014, p. 190.
- ^ 宮地英敏 2014, p. 191.
- ^ 宮地英敏 2014, p. 193.
- ^ 木曽朗生 2005, p. 129.
- ^ a b c 伊藤之雄 2019, p. 283.
- ^ 宮地英敏 2014, p. 182-183.
- ^ 宮地英敏 2014, p. 192-193.
- ^ 伊藤之雄 2019, p. 273-282.
- ^ 伊藤之雄 2019, p. 285.
- ^ 伊藤之雄 2019, p. 286.
- ^ 伊藤之雄 2019, p. 289.
- ^ a b c d 伊藤之雄 2019, p. 291.
- ^ 木曽朗生 2007, p. 220-223.
- ^ 木曽朗生 2007, p. 227.
- ^ 木曽朗生 2007, p. 228.
- ^ a b 伊藤之雄 2019, p. 292.
- 1 開拓使官有物払下げ事件とは
- 2 開拓使官有物払下げ事件の概要
- 3 政変と払下げの中止
- 4 脚注
固有名詞の分類
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