北海道庁官有物払下げ事件
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「開拓使官有物払下げ事件」の記事における「北海道庁官有物払下げ事件」の解説
1886年(明治19年)、北海道庁初代長官の岩村通俊は黒田の殖産興業政策を就任演説で批判し、民営化を主張した。ほどなく東京から渋沢栄一、岩崎弥太郎、益田孝、安田善次郎、大倉喜八郎ら財界人を札幌へ招き、北海道の開発について協議した。夏には山縣有朋、井上馨ら大物政治家が、益田、大倉、小室信夫、馬越恭平を伴い来道。その暮れには、開拓使時代からの官営工場である札幌麦酒醸造所が大倉へ払下げられた。翌1887年(明治20年)、渋沢が出資者に加わり、札幌ビールと社名を変更した。他には、資本金26万円の紋別精糖所が995円で伊達邦成に払下げられている。 1889年(明治22年)、北海道炭礦鉄道の前身事業が、法人設立を隠れ蓑に払下げられた。前身の官営事業は資本金230万円であったが、破格の払下げ価格は35万円、割賦10年、さらに8年は株主に年5%の配当保証。加えて線路とそれに付随する土地は税金が免除され、千人以上の囚人が労働力として毎年派遣されるという好条件であった。設立にあたっては、三条実美を介して皇室を大株主に据えた。福沢諭吉からも了承を得たうえで有力財界人や華族らが発起人となった。この年、北海道の200万町歩が皇室財産となり、雨竜原野の1億5000万坪が三条や蜂須賀茂韶らの華族組合に貸し下げられた。1897年(明治30年)、開墾地無償付与の制度が実施されると、官僚・華族・資本家らの荘園が道内に蔓延した。
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