辞職、そして放浪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 03:35 UTC 版)
ビール事業は軌道に乗り、明治11年(1878年)、札幌本庁の民事局副長となる。翌年病気のため熱海で療養、そのまま東京在勤となる。 明治13年(1880年)には東京出張所勧業試験場長に任ぜられるが、開拓使は事業期間満了(明治15年)を目前にして、黒田清隆の主導で麦酒醸造所など開拓使の施設を廉価で民間に払い下げる動きが水面下で進められつつあった(開拓使官有物払下げ事件)。こうした動きに失望したのか、明治14年(1881年)5月、突然開拓使を辞職。北海道知内村に設立された牧畜会社の社長に就任するが、その後、家族も捨てて托鉢僧となり、行脚放浪の旅に出た。
※この「辞職、そして放浪」の解説は、「村橋久成」の解説の一部です。
「辞職、そして放浪」を含む「村橋久成」の記事については、「村橋久成」の概要を参照ください。
- 辞職、そして放浪のページへのリンク