辞職と継承論争 (2001年–2006年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 08:29 UTC 版)
「ニュージャージー州副知事」の記事における「辞職と継承論争 (2001年–2006年)」の解説
ニュージャージー州では数年の間に複数の議員が次つぎに知事代行に就任する事態が続いた。2001年に2期目のクリスティーン・トッド・ウィットマン知事は任期を1年残して辞職、ジョージ・W・ブッシュ大統領の指名を受けて連邦政府の環境保護庁長官に転じる。ウィットマンの辞職を受け、2001年1月31日付で上院議長ドナルド・ディフランセスコは知事代行に就任すると、2002年1月8日の上院辞職まで務めた。 政治的に特殊な状態が続く中、2001年の 立法選挙では共和党と民主党は同数が当選、上院は20議席ずつとなる 。知事不在の状況に対応するため両党協議の結果、それぞれの政党から上院議員2人ずつを選ぶ交渉が成立、州議会の新しい議席が決まってからジム・マクグリービー州知事就任までに8日の空白期間があったため、知事代行の地位に4人の男性が就く事態となった。時間軸に沿って事態の動きを見ると、下記のとおりである。 2002年1月8日 正午、新しい上院議会召集を待ち、知事代行として在任した上院議長ドナルド・ディフランセスコが離任。 2002年1月8日 ニュージャージー州検事総長ジョン・J・ファーマー・ジュニアはディフランセスコの後を継ぎ知事を代行、次期上院議長宣誓の間、90分間待機。 2002年1月8日–12日 知事代行は上院議員ジョン・ベネット(共和党)。 2002年1月12日 正午まで、知事代行は上院議員共同議長リチャード・コーディ(民主党)。マクグリービー知事の就任を待機。 2002年1月12日 正午、マクグリービー知事がコーディ知事代行と交代し、正式に就任。 ジョン・マクグリービー知事が2004年の醜聞の最中に辞任すると、リチャード・コーディは同年11月15日より翌々年2006年1月17日までふたたび知事代行職に就く。この時期、コーディは単独の知事代行であり、2003年立法選挙により民主党が州上院を完全に統制した背景がある。2006年1月17日、ジョン・コーザイン知事の就任でコーディの任期は終了する。 ホイットマンからマクグリービーまで、非常に短い任期の交代が重なり、それをきっかけに世間の注目は継承問題に向けられた。一般大衆とメディアからは、知事代行や辞任が相次いだせいで状況が悪化し、州には副知事設置など恒久的な解決策が必要だという声が大勢を占めた。副知事職の設立を支持する主張は主に次の3つが見られた。 州上院議長は上院議員の互選であって、有権者が選出したのではない - 言うなれば、州に40ある選挙区のうちのたった1区の住民が選出した人が、知事代行になった。 知事代行が行政府と立法府で同時に勤務することから、知事の立場が非常に強大になり、政府の機関の「三権分立」の原則に反した状況である ある政党の前任知事と、知事を代行する別の政党の上院議長との間に、政治基盤に連続性が保てない可能性があること。そのような2人の個人が同じ政党出身になる保証はなく、知事代行の方針が前任知事の方針と直接対立する可能性という大きな懸念があった。
※この「辞職と継承論争 (2001年–2006年)」の解説は、「ニュージャージー州副知事」の解説の一部です。
「辞職と継承論争 (2001年–2006年)」を含む「ニュージャージー州副知事」の記事については、「ニュージャージー州副知事」の概要を参照ください。
- 辞職と継承論争のページへのリンク