辞退した人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 08:44 UTC 版)
賞の歴史上、以下の人物が受賞を辞退したことが明らかになっている。 福本豊 - 1983年(昭和58年)6月に当時の世界記録となる通算939盗塁を達成。中曽根康弘首相から授与を打診されたが、「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」(本人談)として辞退した。日本全国向けには「呑み屋に行けなくなる」と報道された。実際は「王さんのような野球人になれる自信がなかった。記録だけでなく広く国民に愛される人物でないといけないと解釈した」という心中を語っている。なお大阪府知事の賞詞は受賞している。 古関裕而 - 1989年(平成元年)の没後に授与が遺族に打診されるも、古関の遺族が辞退している。古関の長男は「元気に活動している時ならともかく亡くなったあとに授与することに意味があるのか」と没後追贈に疑問を持ったことを辞退の理由とした。 イチロー - 2001年(平成13年)、メジャーリーグで日本人選手史上初となるMVPを獲得する活躍を見せたことにより、第1次小泉内閣から授与を打診されたが、「まだ若いので、できれば辞退したい。いただけるものなら、野球人生が終わったときにいただけるよう頑張りたい」と固辞した。イチローは2004年(平成16年)にもメジャーリーグのシーズン最多安打記録を更新したことから授与を検討されたが、野球を続けている間は受け取らない意志を示し、再度固辞した。その後、2019年(平成31年)3月にイチローが現役引退したことを受け、政府が再々度打診するも、やはり固辞した。イチロー本人は代理人を通して「人生の幕を下ろしたときにいただけるよう励みます」とコメントを残した。同年11月、安倍晋三(第4次安倍内閣 (第2次改造))との会食の際に4度目の打診が行われ、これも固辞したとの報道があった。 大谷翔平 - 2021年(令和3年)、メジャーリーグでイチロー以来2人目となるMVPを獲得したことにより授与が打診されたが、本人が「まだ早いので今回は辞退したい」として固辞したことを11月22日、官房長官松野博一が明らかにした。
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