安田定則
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安田 定則(やすだ さだのり、1845年7月6日(弘化2年6月2日) - 1892年(明治25年)3月8日[1])は、幕末の薩摩藩士、明治期の官僚・政治家。官選茨城県知事、元老院議官、貴族院勅選議員。通称・泰助[2]。
- ^ 『幕末維新大人名事典』下巻、591-592頁。
- ^ a b 『明治過去帳』新訂初版、349-350頁
- ^ a b c 「職務進退・元老院 勅奏任官履歴原書 安田定則」
- ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』173頁。
- ^ 『新編日本の歴代知事』238頁。
- ^ 『官報』第2343号、明治24年4月25日。
- ^ 『官報』第2546号、明治24年12月23日。
- ^ 『官報』第301号「叙任及辞令」1884年7月1日。
- ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
- ^ 『官報』第2605号「叙任及辞令」1892年3月10日。
- ^ 『官報』第620号「賞勲」1885年7月25日。
- ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
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