払下げ問題の漏洩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 22:10 UTC 版)
「明治十四年の政変」の記事における「払下げ問題の漏洩」の解説
「開拓使官有物払下げ事件」も参照 一方で明治13年頃から開拓使の産業・土地等を民間に払い下げる計画が進められていた。明治14年7月21日、黒田は閣議において、開拓使の官僚によって構成された「北新社」と、五代が参加していた「関西貿易社」への払下げを提議した。 閣議において左大臣有栖川宮熾仁親王や大隈は反対したが、閣議では採択された。ところが7月26日に『東京横浜毎日新聞』において、「関西貿易商会の近状」と題した記事で払下げの事案が暴露され、黒田が同郷の五代に対して利益供与を行っているという報道が行われた。7月30日に明治天皇が裁下し、8月1日には公表されたため、各新聞紙上では大きな批判が繰り広げられることとなった。払下げが大きな批判を受けたことで太政大臣三条実美も払下げに難色を示すようになった。これを聞いた黒田は三条家に出向いて払下げの遂行を求めて強談している。
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