払下げ後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/01 12:37 UTC 版)
「岩国陸軍燃料廠横島出張所」の記事における「払下げ後」の解説
1960年より丸善石油(現コスモ石油)に払い下げられたもののオイルショックにより昭和50年(1975年)閉鎖を決定した。同年、常石造船は跡地に重金属処理を行う産業廃棄物処理工場の建設計画を内海町に提出するが、横島出身の町会議員が難色を示して反対運動が起き常石造船は2か月後に計画撤回を余儀なくされた。しかしその後も常石造船は周辺の農地買収を進めて、用地面積の拡大を推し進めた。この農地買収にも宮沢喜一が関与し、地権者への説得に出向いている。大浜周辺の道路は狭く、基地建設のためには道路の拡張や水道設備の建設が必要であった。常石造船からの要請を受けた内海町議会は1979年に「横島石油基地化計画促進に関する決議」を可決し、行政・政治・企業(海運会社・輸入元の精油会社)が一体となって基地建設が動き出した。1979年、田島と横島を結ぶ橋は20tタンクローリーが通行できる強固なものに更新され、内海町と本土を結ぶ内海大橋(総事業費107億円)が1979年着工、1989年開通した。
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