基地建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 08:49 UTC 版)
2020年現在の東大和市桜ケ丘2丁目から3丁目辺りは第二次世界大戦中には日立航空機の立川工場があり、工場ではエンジンや機体を製造していたが、米軍の3度(1945年2月17日、4月19日、4月24日)にわたる空襲により、工場は壊滅する。 第二次世界大戦後、工場跡地は日興工業や西武鉄道の所有となっていたが、1950年(昭和25年)6月の朝鮮戦争によって新規に基地を建設する計画が持ち上がり、1952年(昭和27年)9月に西武鉄道の所有地が米軍兵舎用地として利用される通告が外務省及び東京都からなされる。大和村(現:東大和市)の人々は「在日合衆国軍兵舎接地反対期成同盟」を組織し村民大会を開催するなど、反対運動を展開したが、1953年(昭和28年)2月27日には土地収用が認定され、同年7月15日に土地収用がなされる。そのバーターとして、大和村は工場内の青年学校校舎を大和村中学校(現:東大和市立第一中学校)として利用していたが、これを奈良橋へ移転するための費用を獲得する。そして1955年(昭和30年)2月に基地が完成する。
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