払下げと最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/07 13:22 UTC 版)
船齢40年を越えた沖縄丸の船体は老朽化が進み、機関も劣化して整備費用がかさむようになってきた。搭載している敷設装置も旧式化し、新型で重い搬送式鉛被紙ケーブルの運用が困難だった。そこで、代替船として東洋丸の新造が決まり、1938年(昭和13年)7月、竣工した東洋丸と交代する形で沖縄丸は廃船とされた。本船が退役までに敷設した海底ケーブルの総延長距離は6800海里(約12594km)にもおよび、これは日本が当時保有する海底ケーブル全体の6割を占める値であった。 逓信省を廃船となった沖縄丸は保管も検討されたが、最終的に解体船扱いでの売却が決定された。払い下げになった沖縄丸は、広南汽船により取得された。大阪の名村造船所で貨物船に改装され、1939年(昭和14年)10月に工事完了した。沖縄丸の総トン数は頻繁に変更されており、最終時の総トン数は2,256トンに変わっている。 沖縄丸は太平洋戦争後半の1944年(昭和19年)3月28日に日本海軍に徴用され、一般徴用船となった。しばらくは国内輸送に使用された後、4月28日に松輸送の東松7号船団に参加して、5月6日にサイパン島へ到着した。さらに別の船団に加わってグアム島経由、ヤップ島に向かう途中、5月10日午前4時40分に北緯11度13分・東経143度44分付近の海上でアメリカ海軍の潜水艦シルバーサイズの雷撃により沈没した。なお、船団の僚船長安丸および第18御影丸もともに撃沈された。
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