元 (王朝)
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北走後も北元のクビライ家皇統は1388年まで存続。モンゴル・ハン国は1635年まで存続した。
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- 1 元 (王朝)とは
- 2 元 (王朝)の概要
大元ウルス
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「ナヤン・カダアンの乱」の記事における「大元ウルス」の解説
大元ウルス側の戦力はクビライ自らが率いる主力軍と、王子アヤチ率いる第2軍、その他いくつかの別動隊から成り立っていた。クビライ自身は「ナヤンの乱」鎮圧時点で軍から引き揚げたため、「カダアンの乱」の時には孫のテムルが代わって主将を務めている。吉野正史は「ナヤン・カダアンの乱」に参戦した大元ウルスの軍事編成は(1)クビライが総司令を務めた「ナヤンの乱」前期、(2)クビライに代わってテムルが総司令を務めた「ナヤンの乱」後期、(3)2に引き続いてテムルが総司令を務めた「カダアンの乱」前期、(4)テムルやアヤチといった王族が引き上げて現地の軍団のみが動員された「カダアンの乱」後期、の4期に大きく分類されると指摘している。このような軍勢編成の変化は、反乱の規模が縮小していくに従い政府にとってこの反乱の位置づけが「国家規模の問題」から「地域規模の問題」にシフトしていった結果であると考えられている。 また、この時の大元ウルス軍の編成における大きな特徴として、王族の参加が非常に少ないことが挙げられる。これは西方のカイドゥの侵攻に備えなければならず動員が限定的であったという事情もあるが、本質的にはこの反乱がクビライ政権と東道諸王との対決という構図であったことに起因する。
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