大元ウルスとの対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 09:11 UTC 版)
『集史』によると、カイドゥによる最初の大元ウルスへの攻撃にはコニチも協力しており、モンケ家のウルン・タシュに属するバアリン部のノヤンを攻撃し掠奪をはたらいたという。コニチの援助を得たカイドゥは四方に勢力を拡大し、これを脅威と見たクビライは自らの第三子ノムガンに遠征軍を率いてカイドゥ勢力を討伐するよう命じた。 ところが、ノムガン率いる遠征軍に従軍していたモンケ家・アリク・ブケ家の諸王は中央アジアのアルマリクに至った所で叛乱を起こし、ノムガンらを捕らえてしまった(シリギの乱)。捕虜になったノムガンらはジョチ・ウルスに送られ、軟禁生活を送ることになった。しかしシリギの勢力は当てにしていたカイドゥの援助を受けられなかったことで大元ウルス軍の攻撃に劣勢となり、首謀者のトク・テムルらは1280年(至元17年)に殺されてしまった。追い詰められたシリギはサルバンを捕らえコニチの下に送ることで援助を引き出そうとしたが、途中で脱走したサルバンによって逆にシリギとアリク・ブケ家のヨブクルは捕らえられてしまった。 ヨブクルはサルバンによって大元ウルスに引き渡される前に脱走し、弟のメリク・テムルのいるカイドゥ・ウルスではなく、オルダ・ウルスのコニチの下に逃れた。この後ヨブクル、ウルス・ブカらはオルダ・ウルスの下を去って同じモンケ家・アリク・ブケ家の諸王が身を寄せるカイドゥ・ウルスに属することになる。後にカイドゥ・ウルスが弱体化し始めた頃、真っ先にこれを見限って大元ウルスに投降したのは一度オルダ・ウルスに身を寄せていたヨブクル、ウルス・ブカらであったが、これはヨブクルらが一度オルダ・ウルスに身を寄せていた経歴が関係していると考えられている。
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