大元ウルスの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 08:16 UTC 版)
至元7年(1270年)、コンギラト部はセチェン・カアン(世祖クビライ)に「上都東北300里のダライ・ノール湖畔に、部族の夏営地がありますが、ここに都城を建築してもよいでしょうか」と申請し、セチェン・カアンはこれを許可した。 完成した都城は「応昌府」と名付けられ、至元22年(1285年)には改めて「応昌路」とされた。現在の応昌城址は南北の長さが約650m、東西の長さが約600mで、これは同時期に建設された安西王府や上都内城と同じ規格である。
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