大名路とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大名路の意味・解説 

大名路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/02 00:02 UTC 版)

モンゴル時代の華北投下領。大名路は中央下部に位置する。

大名路(だいめいろ)は、中国にかつて存在した路。モンゴル帝国および大元ウルスの時代に現在の河北省邯鄲市大名県一帯に設置された。

第2代皇帝オゴデイの庶長子のグユクを始祖とするグユク王家の投下領であった。

歴史

唐代魏州を前身とする。金代には安武軍と改められたが、モンゴルの治世に入って旧名に基づいて大名路総管府とされた。

1236年、オゴデイは河北の諸路を諸王・勲臣に分配した(丙申年分撥)が、この時大名路はオゴデイの庶長子のグユクの投下領とされた。グユクはオゴデイがチンギス・カンから与えられた4千の遊牧民を継承しており、その17倍に当たる人口の大名路を与えられた[1]

管轄県

大名路には11県(5県が路の直轄)、3州が設置されていた。

5県

3州

また、この内清豊県はオゴデイ・ウルスの王傅を務めたデゲイ・ノヤンの一族の投下領であったことが『元史』巻95食貨志3に記載されている[2]。これは、大名路が元々はオゴデイの取り分であったものがグユクに継承されたという経緯によるものだと考えられている[3]

脚注

  1. ^ 松田2010,54/56頁
  2. ^ 『元史』巻95志44食貨志3,「迭哥官人。五戸絲、丙申年、分撥大名清豊県一千七百一十三戸。延祐六年、実有一千三百七戸、計絲五百七斤」
  3. ^ 松田2010,61頁

参考文献

  • 松田孝一「オゴデイ・カンの『丙申年分撥』再考(2)」『立命館文学』第619号、2010年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大名路」の関連用語

大名路のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大名路のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大名路 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS