粛州とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 粛州の意味・解説 

粛州

(粛州路 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 04:16 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

粛州(しゅくしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から民国初年にかけて、現在の甘粛省酒泉市東部に設置された。

概要

602年仁寿2年)、隋により福禄県に粛州が設置された。607年大業3年)、粛州は廃止され、張掖郡に編入された[1]

619年武徳2年)、により甘州福禄県と瓜州玉門県が分離されて、粛州が置かれた。742年天宝元年)、粛州は酒泉郡と改称された。758年乾元元年)、酒泉郡は粛州の称にもどされた。粛州は河西道に属し、酒泉・福禄・玉門の3県を管轄した[2]安史の乱以後、粛州は吐蕃に占領されて、その統治を受けた。849年大中3年)には、帰義軍が粛州を奪回した。9世紀末には、粛州は帰義軍と甘州ウイグル王国の境界に位置した。

11世紀中葉には、粛州は西夏に属した。西夏により蕃和郡と改められた。

1226年チンギス・カンの西征により粛州は攻め落とされ、モンゴル帝国に帰属した。1270年至元7年)、粛州路総管府が置かれた。の粛州路は甘粛等処行中書省に属した[3]

1394年洪武27年)、により粛州衛が置かれた。粛州衛は陝西行都指揮使司に属した[4]

1724年雍正2年)、により粛州衛が廃止されて、甘州府に編入された。1729年(雍正7年)、粛州直隷州が置かれた。粛州直隷州は甘粛省に属し、高台県1県を管轄した[5]

1912年中華民国により粛州直隷州は廃止され、酒泉県と改められた。

脚注

  1. ^ 隋書』地理志上
  2. ^ 旧唐書』地理志三および『新唐書』地理志四
  3. ^ 元史』地理志三
  4. ^ 明史』地理志三
  5. ^ 清史稿』地理志十一



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「粛州」の関連用語

粛州のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



粛州のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの粛州 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS