漳州とは? わかりやすく解説

漳州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 08:32 UTC 版)

漳州(しょうしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から初にかけて、現在の福建省漳州市一帯に設置された。


  1. ^ 旧唐書』地理志三
  2. ^ 宋史』地理志五
  3. ^ 元史』地理志五
  4. ^ 明史』地理志六
  5. ^ 清史稿』地理志十七


「漳州」の続きの解説一覧

漳州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 16:56 UTC 版)

布袋劇」の記事における「漳州」の解説

漳州布袋劇泉州のものと類似しており、その起源同じくしている。しかし後場音楽に関して泉州異なり、鑼鼓、嗩吶等の北管音楽使用しているのがその特徴である。その楽器の特性から文戯より武戯が発展した。このほか漳州の雲霄詔安東山、平和諸県では近隣潮州楽曲影響受けており、その地方布袋劇を特に「潮州布袋劇」と称している。 20世紀初頭、漳州地方士紳汝漢は上海より京劇団を招きこの地に広めた同時期に漳州芸人の楊勝将が京劇唱腔と演出布袋劇取り込み新し様式確立した1900年から1930年にかけれ漳州北派布袋劇台湾泉州流行した南派布袋劇或いは泉州梨園布袋劇それぞれ競い合い融合していった。そしてこの北派布袋劇は後に台湾入り李天禄の外江布袋劇へと発展していく。 1932年台湾発達した歌仔劇が漳州に伝わるとその影響を受け、元来京劇影響強く受けていた漳州歌仔劇に台湾歌仔劇の音楽華麗な衣装融合され薌劇と称された。漳州布袋劇はこの薌劇の模倣行い一部劇団は歌仔調の歌を取り入れた布袋劇編み出したその後様々な改良加えられ1950年代には激しくユーモア溢れる武打を特徴とする漳州布袋劇風格確立され、『方針演義』や『西遊記』題材とした内容が盛んとなった中国共産党政権を取ると、国家による布袋劇保護が行われるようになる。そして1959年3月、漳州龍渓に「龍渓専区木偶劇団」が結成され民間芸能布袋劇専門家による芸術として扱われるようになった。また1960年ルーマニア開催された「第2回国際操り人形祭」で漳州布袋劇による『大名府』、『雷万春打虎』が上演され金賞受賞している。しかし文化大革命が始まると伝統芸能否定され10年にわたる停滞期迎えることとなった文革終結し改革開放開始され1980年代中国政府は再び布袋劇保護乗り出し漳州木偶芸術学校創設している。「漳州木偶劇団」は再び活動開始しし、中国国家一級演員荘陳新世代の洪恵君、呉光亮等の努力により児童劇森林故事』などが上演されるようになった

※この「漳州」の解説は、「布袋劇」の解説の一部です。
「漳州」を含む「布袋劇」の記事については、「布袋劇」の概要を参照ください。

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