姚州 (雲南省)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/15 15:25 UTC 版)
姚州(ようしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から民国初年にかけて、現在の雲南省楚雄イ族自治州北西部に設置された。
概要
621年(武徳4年)、唐により漢の雲南県の地に姚州が置かれた。姚州は剣南道に属し、姚城・長明・瀘南の3県を管轄した[1]。664年(麟徳元年)、姚州の州治は弄棟川に移された[2]。また姚州都督府が置かれ、異州・五陵州・䄂州・和往州・舎利州・范鄧州・野共州・洪郎州・日南州・眉鄧州・邆備州・洛諾州の13羈縻州を管轄した[3]。742年(天宝元年)、姚州は雲南郡と改称された。754年(天宝13載)、雲南郡は閣羅鳳に占領された。その後南詔が成立すると、姚州の地には弄棟城が置かれた。大理国のときには統矢府が置かれた。
1257年(憲宗7年)、モンゴル帝国により弄棟城に統矢千戸所が置かれた。1275年(至元12年)、元により統矢千戸所は姚州と改められた。姚州は大理路に属し、大姚県を管轄した[4]。1328年(天暦元年)、姚州に姚安路が置かれた。
1913年(民国2年)、州制の廃止に伴い姚安県と改められた。
脚注
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