貴州とは? わかりやすく解説

き‐しゅう〔‐シウ〕【貴州】

読み方:きしゅう

中国南部の省。省都貴陽雲貴高原東部位置し、山がちで、水銀木材産し稲作が行われる。ミャオ族など少数民族が多い。人口、37252005)。コイチョウ。


貴州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 03:03 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
中国地名の変遷
建置 635年
使用状況 貴港市
後漢 鬱林郡
三国 鬱林郡
西晋 鬱林郡
東晋十六国 鬱林郡
南北朝 鬱林郡
定州
南定州
尹州
鬱州
鬱林郡
南尹州
貴州
五代 貴州
北宋/ 貴州
南宋/ 貴州
貴州
貴県
貴県
中華民国 貴県
現代 貴県
貴港市

貴州(きしゅう)は、中国にかつて存在した唐代から初にかけて、現在の広西チワン族自治区貴港市一帯に設置された。

唐代

621年武徳4年)、唐が蕭銑を滅ぼすと、鬱林郡の地に南尹州が立てられた。南尹州は鬱林懐沢鬱平馬嶺潮水石南興徳桂平嶺山安城の11県を管轄した。635年貞観9年)、南尹州は貴州と改められた。742年天宝元年)、貴州は懐沢郡と改称された。758年乾元元年)、懐沢郡は貴州の称にもどされた。貴州は嶺南道の邕管十州に属し、鬱平・懐沢・義山・潮水の4県を管轄した[1]

宋代

のとき、貴州は広南西路に属し、鬱林県を管轄した[2]

元代以降

1281年至元18年)、により貴州は和斜温両投下の食邑所在地とされた[3]1301年大徳5年)、宋隆済らが反乱を起こし、知州の張懐徳が戦死した[4]1305年(大徳9年)に鬱林県が廃止され、貴州は管轄県を持たない散州とされた。貴州の人口は8891戸、20811人あった[5]

1369年洪武2年)、明により貴州は貴県に降格された。貴県は潯州府の属県となった[6]

脚注

  1. ^ 旧唐書』地理志四
  2. ^ 宋史』地理志六
  3. ^ 元史』食貨志三
  4. ^ 『元史』成宗紀三
  5. ^ 『元史』地理志六
  6. ^ 明史』地理志六



貴州と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「貴州」の関連用語

貴州のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



貴州のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの貴州 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS